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高村薫
作家的時評集 2008-2013

ガイド

とりあえず読めば得るものがあります

書誌

author高村薫
publisher毎日新聞社
year2013
price1800+tax
isbn978-4-620-32222-3

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
2025.5.2読了
2025.5.23公開

『作家的時評集 2000-2007』の続編である。四の五はいわない。以下の抄録だけでも読むべきではないだろうか。

とはいえ、自分の指と接続した世界が身近で快適であればあるほど、そこから出ることもまた難しくなる。新聞を読まない世代が現れ、テレビの視聴者さえ減っているのは、ネット利用が日常となり、人が自分の興味に合わせて世界を取捨選択するようになったからだが、iPadのような端末の出現はその傾向にさらに拍車をかけるだろう。そしてそのとき私たちの世界はさらにばらばらになり、個々に小さく寸断されることになる。情報化社会とは、人が個々にピンポイントで世界を切り取るようになった結果、個人にとって世界がそれぞれ縮小し続ける社会なのである。

自分に必要のない部分を切り捨てることで快適さと利便性が増してゆくネット環境では、人はもはや茫然として捉えられない世界という感覚をもつことはできない。自分の意思と指先で開くウェブページ=世界という感覚においては、見えない彼方への渇望も、見えない彼方があることへの絶望も存在しない。現代に浸透するフラット感の源泉の一つは、おそらくここにある。

一方で、自分専用にカスタマイズされたこの世界は、ウェブカメラやYouTubeでこれまで見られなかったものが見られ、過剰な視覚情報があふれ返る世界でもある。個別の事物から事物一般への抽象もなく、事物相互の関係性という相対化もなく、ただ情報が錯乱するなかで、私たちは自分の意思という実に不確かなものを根拠に、その日その日の快適さを消費し続けるのだが、はて、自分の指と接続しているのが実はプログラムされた機械であることの気持ち悪さはないだろうか。(p.168-169)

この二十一世紀の消費社会は、たとえばスマホがそもそも何をするための端末だったかといったことには捕らわれないし、まさに開発者が天才的な直感で生み出したかたちと機能を楽しみ、さらなる刺激を追求するだけである。つまり、こうした機能の進化とは、機能が機能を呼び、速さが速さを呼び、刺激が刺激を呼ぶ、限りない運動のことであって、そこに普遍的な意味や目的などないのだ。

またさらに言えば、そういう道具のために、人類の資源と時間が費やされているのだが、地球規模の視点に立てば、これはもう、ひとときの狂騒というものではないだろうか。(p.248)

または以下とか。

それにしても私たちの社会は何かにつけ「ハードルを低くする」ことが得意である。(p.276)

かくして国会から地方議会まで、政治の素養も経験もない素人が闊歩する時代になった結果、これまで動かなかったものを動かす突破力を期待できる一方、政治が色物となってゆく危うさもある-/-

とまれ、外国人介護福祉士の国家試験のような例を除くと、政治から商売まで、ハードルを低くすることの安易な蔓延は、更に低いハードルへの期待を生み、その繰り返しは結果的に低すぎるハードルへとつながってゆくことになる。

ゆとり教育の行きついたところも、弁護士の供給過剰という現実も、デフレと安値競争の果てしない悪循環も、いわば手の届くところにある安易さが王道となった転倒の風景である。生活格差の拡大で上昇を諦めた人びとが、高いハードルを目指す代わりに平等を求めて高級なものの引きずり下ろす近年の風潮は、「下向きの民主主義」と呼ぶこともできる。(p.277)

抄録

12-13

私たちの不安は大きく、深い。失われた十年と呼ばれた時代にはまだ、いずれ再びという漠然とした希望もあったが、いまもそう思っている人はよほどの資産家か、よほどの楽天家である。この国の経済構造、行政の仕組み、そして、それを支えてきた官僚制度と政治が、世界の情勢の変化に少しずつ対応し遅れてきたことは誰でも知っている。三十年も前から何となくまずいと誰もが感じ、改革の必要を唱えながら、今日なおも根本的な構造は変わっていないことも知っている。、

13-14

ここでいま一度、私たちは何を望むのだろうかと自問してみる。かつてのように世界経済の牽引車になることはもういい。避けがたい人口減少と相対的な国力の定価を冷静に眺めながら、たとえば穏やかな生活の安定と、日本に暮らすことの控えめな自信と誇りを望むとしよう。その埃のなかには、言うまでもなく平和も含まれる。高い技術と文化、芸術も含まれる。