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賭博と国家と男と女

書誌

text唯野
author竹内久美子
publisher文春文庫
year1996
price450
isbn16-727003-X

目次

1感想
2抄録

履歴

1997-1998読了
1998.11.7公開
2001.4.16修正

感想

「利己的遺伝子」という考え方に基づいて世の中を眺めた本である。現実にこの分野での最先端の世界では、そういうことがいわれているらしい。こういう本を読むと「それでは、そこにおける人間の意志とは何なのだ ?」というような諦観もないわけではないが、一方で非常におもしろい(スリリングな)のも事実である。本書では、利己的遺伝子の考えが登場する以前おける、ヒューマニズム的な考え方の限界などから説き起こしつつ、その後はそれを用いながら世の中の諸相を読みとっていくというかたちになっている。つまりは、繁殖戦略としての人間行動、遺伝子に操られる生物いう視点だ。例えば、好色であることと政治家としての資質の関係などが挙げられている。

但し、文春から出ているからなのかどうかは分からないが、本書はエピローグに至ると君主制や右翼の肯定だけでとどまらず、君主の発言権の拡大や有閑階級の創出、賭博の奨励などを薦めている。君主制が優れているのは、それが自然発生したシステムだからであり、それ以外の人間の頭が考え出したもの(共和制,社会主義)では利己的遺伝子にはかなわないから...と論じている。そう考える前の「なぜ、それ(近代の思想)が社会に現れたのか」や「なぜ、その部分だけでは思考停止できるのか」に対する考察がないのは極めて残念である。なぜならば、そこではそういった科学による利己的遺伝子の発見とそこに至るものも否定されてしまうからだ。個々の遺伝子は自我を持たない。ならば、そこで遺伝子の優位性を認めた時点での自我との関係や矛盾に対しての突っ込んだ意見も聞いてみたいと思った。

抄録

24-29

国富論のスミスは人間の本性というテーマとそれに基づいた人間や国家の在り方を追い続けた。ちなみに彼は結構な放心癖の持ち主だった。

18Cの人間の本性に対するふたつの見方

  • ベーコン,ホッブス,ロック,ヒューム 利己的
  • シャフツベリ,バトラー,ハチェスン 利他的

スミスはハチェスンの弟子だったが、ヒュームと親しかった。彼は両者を含めた考えとして、「人間の強調には利己心こそが重要であり、神はそれが発揮されることを望み、それが人間と社会を幸福に導く」とした。これが当時にセンセーショナルな反応を巻き起こした。

国富論 人間の本性は利己心(自愛心)にあり、利他心(博愛心)も実はそれに基づく。しかし、利己心は個人レベルで終わるのではなく、それは「神の見えざる手」に導かれることで、社会全体の利益としても還元される。重要なのは、ここでの自由放任が完全であるということである。 アメリカ独立の支持/奴隷制撤廃の支持

32-33

種の繁栄(保存)を広めたのはコンラート・ローレンツ。1950-60の行動動物学の黎明期に「動物は同種同士の殺し合いはしない。それをするのは人間だけ」と強く主張した。(彼は主にオオカミを研究していた。)一方では子殺しの報告もされていたが、それは異常行動として判断されてきた。種の保存はヒューマニズム(戦争の回避)などと結びつくことで、思想的にも70年代に入るまでは大きな力を持っていた。

34-39

ダーウィンの時代にはまだ遺伝学が成立していなかった。彼は淘汰の単位を固体にあると考えた。これを引き継いでハミルトンは淘汰の単位は遺伝子であるとした。つまり、群や種の単位ではなくということである。これがリチャード・ドーキンスの利己的遺伝子(セルフィッシュ・ジーン)仮説につながっていく。本当に利己的なのは固体ではなく遺伝子だということ。遺伝子の願いは自らのコピーを作ることであり、他との強調もその方が遺伝子のコピーにとって都合がよいからだということである。

41-42

戦争における身内のためのものから国家のためのものへの転化。血縁や身内以外のために戦うための論理の用意という考え方。友情や隣人愛。それを後押しするものとしての教育。人間を集団で扱う以上、それは必然的にそういう要素を持ち、ゆえに それに自覚的であることもありえる。

43-52 (反復)囚人のジレンマゲーム

こういう勝ち負けの数よりも総合的な結果で判断するものをノンゼロサム・ゲームという。勝ちと負けが試合ごとに求めらるのがゼロサム(ゼロ和)・ゲーム。つきあいが長く続くという条件においては、「自分からは裏切らない」「裏切りにはすぐ反応し」「すぐ機嫌も直す」プログラムが強かった。

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