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書と文字は面白い

書誌

text唯野
author石川九楊
publisher新潮文庫
year1996
price320
isbn10-209201-3

目次

1感想
2抄録
3注記

履歴

2002.10.31読了
2002.11.6公開
2002.11.8修正

感想

書名の通りの内容の本だが、ひとつの話題が常に見開き 2 ページに収まっており、必ず話題に関連した書の写真がつく辺り、かなり初心者というかその道以外の人を意識した作りになっている。しかし、話題は豊富でありながら散漫でもない。非常に読みやすく、なかなかの好著だった。こういう本が文庫で読めるというのも手頃感がある。恐らく、今年に読んだ「期待と裏腹に実はおもしろかった本」としては一番といえるように思う。

抄録

19

現在の我々が文字を書くことと、古代中国人が甲骨文字を刻むことの間は、言葉を定着、表出するという点では繋がっているのだが、一面では文字の構造が遠く隔っていて同列には語れない。字画が成立していないわけではないのだが、甲骨文字は「図像」つまり全体が比喩形象として言葉の意味の深さと衡(つ)り合っている。一方、我々が日常書く文字は、祖形を喪い、内に分化して「字画」という部分とその結合則である「字画構成」を備えることによって、字画、字画構成そして字形の美醜が問われることになった。

22

中国古代、殷、周、春秋・戦国期の金属器(祭器、礼器)に鋳こまれ、刻(こく)された文字を金文と呼ぶ。金属器に付された文字という意味で金文と呼ぶのだが、甲骨文字と篆書(てんしょ)をつなぐ、古代漢字の一群の書体に限定して用いられることも多い。-/-

24/25/26/27/30/31/36/106/116/144/202

篆書体が甲骨文字、金文と異なるのは字画の成立という点にある。また、漢字で五体といえば、篆、隷、楷、行、草書体を指し、そうでない意匠的な書体のことを雑体書と呼ぶ。隷書は今日でも大新聞の題字、紙幣の文字などに用いられ、筆による字画、すなわち筆画というべき点に特徴がある。

また、草書というと崩れた文字を連想しがちだが、書の世界には崩れても一字ごとに独立した章草体というものがあり、これは特に中国では根強い伝統がある。これに対して字の連続したように見える書のことを連綿草と呼ぶ。篆書も、封緘を初めとするはんこなどに今でも用いられている。

逆に、古い書体でありながら現代のデザイナーによって積極的に用いられているものとして、宋朝体、古印体(漫画でよく見かける呪われたような文字の書体)、行書体、草書体などがある。また、清酒などのラベルに良く使われているのが髭文字。

44/47

書が言葉を記したところに成立するのは自明の理だが、現代の書の表現が、言葉に寄り添うだけでなく、成立の根拠である言葉とせめぎ合い、言葉を無化するところにしか成り立たないことはあまり理解されていない。

言語無化を曲解した書道界の手法は、言葉を書かないこと。「非文字性の書」という部外者には見当もつかないジャンルが、良くも悪しくも現代書の位置を鮮明に映し出す。

詩も書も近代以降遠くへ来てしまった。詩人のぬくもりや息遣いは、肉筆に寄らなくても、詩の文体に寄り添っている。言葉の限界を見据えた上で、言葉に拘泥し、言葉だけで成り立たせるのが現代の詩の表現作法ではないだろうか。cf.250/265/267/271

これらの影響を受けた戦前後の書の流れのことを前衛書という。cf.269

58/59

つまり、書は美術ではなくて、教育、東洋文学の範疇に属するのだと文部省はいう。

書は言葉 = 文字から離れられない宿命を担った特異な芸術である。言語 = 文字論、書字美術、文字造形美学、現代表現論など、教育書道や古典書道の領域では解明されない領域は余りに広い。「書は美術ならず」論争は(M15 に洋画家小山正太郎と岡倉天心との間に交わされた論争のこと:唯野注)、百年を経た今も決着せぬまま中空を漂っている。

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