そして我が祖国・日本
書誌
| text | 唯野 |
| author | 本多勝一 |
| publisher | 朝日文庫 |
| year | 1983 |
| price | 380 |
| isbn | 2-260810-2 |
履歴
| 2002.9.12 | 読了 |
| 2002.11.9 | 公開 |
| 2002.11.24 | 修正 |
感想
本多勝一による列島破壊の様子を郷里である長野の伊那谷に見た後で、その背景を、北海道・岩手県での出かせぎとの関係において論じ、最後にそれらの地に共通するものが生んだものとして田中角栄を新潟に求めた本。また、後書きでは単純な文明批判、自然礼賛の虚偽に触れるなど「もっと早く読んでおくべきだった」と痛感させられる内容だった。個々の指摘は既によく知られているものかもしれないが、本書はその全体を関連したものにする構成力という点で特に優れている。それくらい本書の指摘は部分-全体の中において的を得ており理路整然としている。深化した(進化ではない)ルポルタージュの好例といってよいように思う。
抄録
25
「文明」の被害を最初に受けたのは、これら降海性の魚である。ダムの影響をもろにかぶった。
こういう辺りは野田知佑氏なり天野礼子氏の本が詳しい。また、欧米ではダムでも魚道がきちんと機能しているため、日本のような事態は招かないと続いている。
37
そのようににぎやかだった大自然が、あの「高度成長政策」開始のころから、急速に滅ぼされはじめた。それは物理的・化学的の両面作戦ですすんだ。物理的とは、さらに増水した大小のダムのほか、工事で河原の砂利が大量採取されるのと、護岸工事の進行だ。淀みや瀬や淵がなくなって、コンクリートで一定の流れに固定されたプラスチック=モデルのような川に、どうして魚が住みつけようか。
しかし何といっても、最後のトドメは「化学的」すなわち農薬や工業排水による汚染である。-/-
直前に読書ノート化した野田知佑の 『川からの眺め』 などと比較して欲しい。また、その後で本書がいつに書かれた本であるかを考え比較してみるとよい。厳しいいい方をすれば、そこから野田知佑の著書の可能性と限界が見えるはずである。
38
大量死した魚たちは、アユやウナギのような降海性の魚はもちろん、ドジョウやアブラハヤ以外はほとんど人工孵化による放流魚である。アメノオ、アカウオ、ニジマス、それにフナまで放流だ。自然のままでは、小川はもちろん、もはや天竜川の本流周辺でさえ繁殖できなくなってしまった。
43
地元の上伊那郡長谷村は、強力に「誘致」の運動をしたのであった。誇張した表現をとれば、この点こそがまさに現代日本の悲劇を象徴している。いうまでもなく、村人たちは全員こぞって心底から誘致したのではない。最も熱心だったのは、村長以下の村の?体制側?だが、しかし村人たちの間にその誘致運動を支持または黙認する空気があることは否定できない。
46-47
長野県内のあちこちに別荘地その他の「開発」をばらまいたのは、県の企業局だった。とくに前局長がその中心的役割を果たし、一時は最も「先進的」部分ともみられたが、今は自然保護団体などからカタキのように見られている。その「開発」方式は、はじめ上田市の奥の菅平高原で試みられたので菅平方式と呼ぶ。市町村が無償で企業局に土地を寄付し、企業局はこれを開発して、利益を地元に還元する方法だ。-/-
関連して第三セクター方式などにも言及している。
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