四角いジャングル
書誌
| text | 唯野 |
| author | 寺山修司 |
| publisher | 角川文庫 |
| year | 1975 |
| price | 500 |
| isbn | 4-131508-5 |
履歴
| 2002 | 読了 |
| 2003.1.3 | 公開 |
| 2004.11.17 | 修正 |
感想
寺山の対談集。彼くらいの才人だと何を語らせてもおもしろいとは思うが、本書を読んで驚かされたことのひとつは、これが本当の対談になっているところである。寺山は論者が誰であろうと自分と考えの違うところは明確に主張するし攻撃する。多くの対談集でだいたい聞き手が固定してしまっているのに比べると、はるかにスリリングであり読み手を惹きつける内容になっている。
登場するのは勝田吉太郎、三島由紀夫、鶴見俊輔、別役実、篠田正浩、野口武彦、浜尾実、山崎朋子、羽仁進、野坂昭如の各氏。まあ、さすがに話題で古さを意識せざるを得ないものも少なくないが、それでも十分読んでおもしろい。
抄録
12-13
同時に最近の青年、学生の行動の様式は、口々に反権威主義といいますが、そのじつ、彼らの心理の背後にはなんらかのしかたで権威を求めているのではないか。そんな感じがしてならない。確たる権威、確たる道徳的な手引きが不在している。そこからくる苛立ちが彼らの反権威主義といった、行動様式のうらに隠されているような、いうならば反権威主義といっても、じつはなにか権威を求めているのですね、内実は。それは裏返しの権威主義であり、つまりいまある権威はニセものであり、ほんとうの権威はなければならないといったような、妙に屈折した心理があると思うのです。(勝田)
個人的にいって通俗的といえば通俗的だが、分かりやすいといえば分かりやすい。そんな一文。
22-23
寺山 しかしそれこそある意味ではやりがいのある革命ではないかと思うのです。結局、政治的な革命というのは部分的な革命にすぎないわけで、全人的な意味での革命とは、ほんとうに自分が望んでいることがなにかを知ることからはじめなければならないのです。4 チャンネルのステレオから流れてくる音が、野原で寝ころがって父親の吹く笛を息子が聞くよりほんとうに素晴らしい音楽かどうか、という疑いのないところでは「発達」は無意味でしょう。
勝田 高度に発達した工業社会に住み、その恩恵を受けているからこそ、かつての麗しい牧歌的な社会を一種の失楽園のようなぐあいで理想化している面があるのではないでしょうか。終戦直後の焼け野原のときには電気洗たく機もなにもなく、いわば自然に還った状態でしたが、それはやはり惨めでしたよ、非常にね。それを理想化するというのは一種の甘えがあるといいますか、高度に発達した工業社会の果実を食べてるからこそできるのだと思います。
27
自分が住んでいる世界状態は自分が確実に作っているという手ごたえがあるような形にしていかないかぎり、ぼくは、やはり議会制というのは形骸化した悪でしかないだろうという気がします。(寺山) cf.14/19
私も同感だし今の政治に最も欠けているのもこの点だと思う。そして、寺山はそれを家庭という意味でも問うている。そういう向きでなら最近のフェミニズムの本を読むのがよいと思う。cf.207-208/211
32-33
三島 このあいだ、朝日新聞で澁澤竜彦が言ってるね。フリー・セックスは擬似ユートピアだって。澁澤さんなら、ああ言うべきだと思うね。だって澁澤さんにとっては、エロチシズムは神とスレスレのところで神に背を向けるから、エロティックに高揚するんだから。それはサドだろう。だけど、そうでないセックスなんて、エロティックでもなんでもないわね。cf.251
彼らは認識がちがうと言いたいだろう。ところがね、認識にとどまっていてはなんにもならない。認識が行動に現われなければ認識できないということは、彼らの言い出したことじゃないか。新左翼は、それしか理論的な根拠がないはずじゃないか。認識が行動に現われないですむものなら、彼らの軽蔑する大学の先生だって、そうやって毎日暮らしているわけだ。といって、こんどは認識が行動に現われるように徹底すれば、赤軍派しかないわけだろう。赤軍派になったら大衆はついてこないことはわかりきっている。そうすると、彼らはなにをしようとするのか。それにはもう方法がないよ。つくづくデモを見ていて気の毒に思ったね。(三島)
寺山 ぼくは「言葉にすればなんでも自分のものになる」と長いあいだ思ってたのです。ただ、言葉そのものの吟味が問題なんですね。
新左翼、とくに赤軍派に代表される人たちは、政治的な言葉と文学的な言葉を混同している。三月十日に東京戦争が起きると赤軍派の人たちが言ったら、それは文学的な言葉ではありえない。それは政治的な言葉でなければいけないんだ。ところが、それが起こらないと、いつのまにか文学的な言葉にすりかえてしまう。そのへんに彼らの破綻がみえている――というように三島さんは書いていらした。
35-36
三島 エロスというのは、要するに "欠乏の精神" でしょう、自分に足りないなにかが欲しいという。エロスっていうのは結局、自分は美しくなくて、美しいものにあこがれている。自分に足りないものがエロスの根元だから、反体制感情なんて、ほんとにエロティックなものなんだね。佐藤首相はぜんぜんエロティックでないよ。
寺山 その欠乏をなにかで埋めることでエロスが成り立つとしたら、それはなんで埋めるんだろう、やっぱり言葉でしょうか。
三島 言葉で埋めちゃいけないと思う。いままで、それで失敗したんだと思うな。
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