サムライ・マインド
日本人の生き方を問う
書誌
| text | 唯野 |
| author | 森本哲郎 |
| publisher | PHP文庫 |
| year | 1993 |
| price | 560 |
| isbn | 569-56599-9 |
履歴
| 2002.12.9 | 読了 |
| 2002.12.31 | 公開 |
| 2004.11.17 | 修正 |
| 2012.1.15 | 修正 |
感想
文庫本でも読んでいるとよく読むものとそうでないものとが出てくる。私の多いのは最近ならちくま文庫だと思うが、逆にいって本書の PHP 文庫はほとんど読んだことがない。スマイルズの『自助論』などは読んでみたい本のひとつなのだが、どうも私には「おっ」と思わせるものの少ない感じがある。
まあ、そんなことはさておき、本書は著者による一種の警世の書である。そして今の日本に不足するものとして民族が持つ「エートス(倫理的な力)」を取り上げ、それが日本人の場合には人倫としての規範に昇華されたサムライ・マインド、即ち武士道のような部分だったのではなかったか――という視点に立って様々な人物を取り上げている。
著者は文中で明示的に「だから日本人はサムライ・マインドを身に付けるべきだ」とはもちろんいわない。その代わりにサムライ・マインドの実例と生き様を豊富に紹介するのである。だから私も別に本書を読んでおもしろかったからといって、それを人に強制するつもりはない。(それは他の本でもそうである。)しかし、本書の中の一節に惹かれる部分、考えさせられる部分があるならば、そういうものこそが自分や周りを顧みるのによい機会を提供しているのだとはいえると思う。
抄録
4
むろん、その際、私たちが充分に注意しなければならないのは、独善である。なぜなら、民族の、国家の、アイデンティティーを追及する際には、しばしば独自性への希求が、
独善 と手を取り合うことになるからだ。文化の個性、民族の特質の自覚とは、けっして「思いあがり」ではないのである。そうではなく、おのれを自覚することは、他の文化、民族を、おなじように理解する重要なカギを手に入れること、と言わねばならない。いささか抽象的にいうなら、「特殊」の認識こそが、「普遍」へ到達する第一歩にほかならないのだ。
9-10
サムライ精神などといえば、それは封建的な主従関係を中心とした過去の、むしろ否定されるべき信条のように思われるだろう。たしかに「武士道」に結晶しているその倫理観は、「文明開化」後の日本人には、歴史的遺物のようにみなされてきた。そして、そのような精神から脱却することにより、日本は初めて近代化をなしとげることができたのだ、と考える人も多かろう。
しかし、果たしてそうか。サムライ精神が長い封建社会の倫理から出発したことは、まぎれもない事実である。けれども、その精神は時代の推移につれて、また社会の状況とともに、性格を変えてきた。すなわち、偏狭な枠から、しだいに
普遍的 な人倫を志向するようになったのだ。
33
しかし、その根底には何といっても、より豊かになろうとする人間の意志が存在しなければならない。意思とは、端的にいうなら「やる気」である。どれほど他の条件が揃っていても、「やる気」がなければ、何事も実現しはしない。とすれば、人間の社会にとって、いちばん重要なのは、人間の意思、「やる気」だといってもいいのではあるまいか。
これはとてもそう思う。というか、それしか思いつかない。
34
これに対するウェーバーの解答は、「エートス」だった。つまり、たんなる欲望とは別の行動原理、一種の道徳的な力である。エートスとは、ギリシア語で「伝統的な習性を身につけることによって得られる道徳的な性格」を意味するが、それが、やがて「倫理的な規範」を指すようになった。英語の「エシックス(倫理)」は、このギリシア語に由来する。こうした「エートス」に対して、もうひとつ、人間をつき動かす力として、ギリシア人は「パトス」なるものを想定した。それは「情熱」「激情」を指し、英語の「パッション」はここから生まれた。
35
たしかにサムライは明治維新とともに姿を消した。しかし、長い歴史のなかで形成されてきた「侍
精神 」は形を変え、日本の近代化、資本主義化を推進する精神的な基盤として、何より大きな力を発揮してきた、と私は思う。それを私は、あらためて「サムライ・マインド」と呼ぶ。
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