戦国と幕末
乱世の男たち
書誌
| text | 唯野 |
| author | 池波正太郎 |
| publisher | 角川文庫 |
| year | 1980 |
| price | 420 |
| isbn | 4-132317-7 |
履歴
| 1998.11.0x | 読了 |
| 1998.11.13 | 公開 |
| 1999.10.30 | 修正 |
感想
池波正太郎による小説とは一味違った切り口による歴史エッセイ。ドキュメントとして完結しているのではなく、創作秘話のような意味での挿話的雰囲気が多分にあり、そのため多少は氏の作品をたしなんでからの方が本書は楽しめると思う。内容は書名にもあるように、戦国と幕末という動乱期に生きた男たちの行き様を取り上げたもので、他は忠臣蔵に絡めた堀部安兵衛などが取り上げられている。
抄録
66-74
昔は、酒の管理は女の仕事だった。酒を飲ませる店ができたのも江戸の中期以降のことであり、それまでは家で飲んでいたという。以降は戦国期の武将たちをめぐる酒の挿話が収められている。信幸が九度山の昌幸と幸村に酒を送り、昌幸が「孝行とは、かくのごときものなり」といったという話。また、宇喜田秀家が八丈島へ流された後に福島正則の船から酒を受け取った話などである。これは甲子夜話が出典だという。当時は酒は非常な貴重品だったので、大名といえども質素な飲み方をしていた。
76 元禄という時代
幕府ができて70・80年くらいで外食ができるようになった時代。つまり、それまでは江戸でも弁当を持っての外出だった。蕎麦やお茶漬け(煮しめのようなもの)、西瓜(信長の頃は南蛮渡来の貴重品)などが食べられるようになった。宿でも家光の頃までは客が自炊するものだった。これは元禄になって戦国の気風が薄れ(逆にいうと戦国大名は非常に質素)、華美と質素とが攻めぎあいをした時代。著者はここに忠臣蔵という事件の時代思潮を考察している。
79 江戸時代で賄賂が一般化するのは田沼になってから
つまり忠臣蔵の頃ではないので、浅野の吉良への賄賂が足らなかったから...はちょっと話が違う。
80
浅野は質素で火消しで有名(町火消しのない時代には大名が行っていた)。吉良は権力志向で歯に衣を着せぬいい方をする人だったらしい。その意味では衝突もある種の必然といえる部分があった。
83-84/93/120-121 綱吉
綱吉(学者将軍の面がある)の生母が桂昌院(けいしょういん)で彼はとにかく彼女に孝行を尽くした。彼女が護寺院隆光という怪僧に「戌年生まれなので犬を大切にせよ」といわれたのを真に受けてできたのが「生類哀憐れみの令」だった。江戸城では将軍の料理番が鯛の刺し身を作るとき、頬に止まった蚊を殺したというので告げ口から島流しとなり、告げ口をした者もそれを止めなかったというので島流しになった話がある。成りたての頃は堀田正俊がいて越後騒動などを解決し名君呼ばわりをされたが、(彼が若年寄の稲葉正休(まさやす)に江戸城内で刺殺された)その後の牧野成貞や柳沢吉保(よしやす:綱吉の学問の一番弟子)などの側用人ら(側近政治の先駆であり、元は将軍と重臣の連絡役だった)は将軍のイエスマンに成り下がってしまった。しかし、忠臣蔵があったから、綱吉もおとなしくなったのではないかと著者は書いている。ちなみに、綱吉の将軍即位を強く反対したのが、老中・酒井忠清(当時は下馬将軍と呼ばれ強い権勢を持っていた)だった。
全文を読まれる場合はログインしてください
