南の川まで
書誌
| text | 唯野 |
| author | 野田知佑 |
| publisher | 新潮文庫 |
| year | 2000 |
| price | 400+tax |
| isbn | 4-10-141011-0 |
履歴
| 2009.12.3 | 読了 |
| 2009.12.15 | 公開 |
| 2009.12.16 | 修正 |
感想
野田知佑のカヌーエッセイ。『南の川まで』も読んだので一緒に上げておく。
抄録
27-28
「この国(ニュージーランド:唯野注)の農夫と話をするのは面白い。みんなが自分の意見、明確な考えを持ち、数字、統計を出して説明してくれるからだ。こちらの質問に、「判らない」「知りません」という答えがない。自分の運命をほとんど農協や政府にまかせっぱなしでいる日本の農家とはかなり違うようである。」
いつか藤門弘がしみじみといっていた。
「この国の農業を日本の農家の人に見せてやりたいですね。ぼくは農業ってとてもカッコいい仕事だと思うんだけど、日本では当事者がカッコ悪い仕事だと思って、卑下して小さくなって生きているでしょう。この国の農家の人は自信をもって生きていますよ。第一、農業の社会的地位がとても高いもの」
72
外国の人間はこんな金のことにはうるさい。ケチなのではなく、合理的でない値段は許せないという考えが強いのだ。
100-101
それは後進国の話だ、などと思う人に次の話はどうだろう。日本の話だ。
水俣病の原因がつきとめられた後も、水銀を出した会社や政府は御用学者を使って反論し、(これら御用学者の責任はどうなるのか)
一〇年間 それを認めようとしなかった。その一〇年間の間に水俣病の水銀は拡散し、他の地域に拡がり、数千人の新しい患者を作ってしまった。更に、それから何一つ学ぶことなく、新潟に第二の水俣病を発生させた。そして、患者の救済はまだ未解決である。日本はとても野蛮な、未開の国ではないか。
133-134
水銀中毒になった人は圧倒的に漁村に多く、魚以外にも色々なものを食べていた市街(まち)の人は少なかった。
魚しか食べるものがなかった人たちがみなやられた。
チッソに世間の風当りが強くなった時、この会社は地元民の差別意識をあおった。
「漁師たちは働かんで一日ぶらぶらして遊んどる。水俣に暗いイメージを植えつけたのはあいつらだ」
水俣病患者には自分の家族の多くが死亡というケースが多い。当然、多額の補償金を手にする。それを町の人でいろいろなことをいう者がいた。
「お前たち、働かんで食っていけてよかな。俺もできるなら、そげな病気になりたかばい」
143
長島町の人の話によると、ある日それまで黒々としていた田に白い粉状のものが点々としていた。そのあたりの表土を採って分析したら、矢張り、まいた塩だった、と彼らはいう。
あらゆる嘘をつき、建設の基礎となるアセスメントの資料を
改ざん し、市民を脅し、――いつか、建設省側の人と会った時、あんたはそれでも自分の家に帰れば夫であり父親で、子供たちに「嘘いっちゃいかん」とか「弱い者をいじめるな」とかいってるんだろう。この長良川河口堰で君たちがやってきたことで、人間として自己嫌悪に陥ることはないのかね ? ときいたことがある。その役人は黙っていたが、彼がその夜、酒をたくさん飲んだのは間違いない。
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