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九つの空

書誌

text唯野
author團伊玖磨
publisher朝日文庫
year1979
price440
isbn260053-Y

目次

1感想
2抄録

履歴

1997.10.?読了
2000.3.4公開
2001.4.16修正

感想

「パイプのけむり」で著名なエッセイスト(とはいえ、この人の本業は作曲家である)による旅行記。文字通り世界をまたにかけて 9 つの秘境/奇蹟を訪れている。何ともうらやましく、そして序文がすばらしい。まさに著者の人と文章の面目躍如というところか。

抄録

3 序文

さまざまな色に変化する美しい空があった。あらゆる姿で僕を迎える広大な海があった。濡れたように光る緑の森が、眩しい純白の雪の原が、枯れ果てた林が、そして、川が、斜面が、行く雲を映す湖があった。

人の居ない処を歩いた。人の居る処も歩いた。人の居ない処にも、探せば必ず人の通った径(みち)があった。人の居る処には家があり、暮らしがあり、人々は愛し合い、時には憎み合いながら、営営と働いていた。遠い街、丘の上の家々、谷間の小屋の群れ。家は、遠く離れて見ると、人間の喜びと悲しみの函(はこ)に思えた。そして、遠い、人間の喜びと悲しみの函の上に、日が照り、風が吹き、月が浮かび、雨が降るのが見えた。

百代の過客の紡(つむ)ぐ経(たていと)と、人間の思考と行為が縒(よ)る緯(よこいと)は、地球上の何処ででも、刻一刻、歴史を織り続けていた。そして、歴史の綾織りは、地表を染め分け、朝も、昼も、夜も、その筬(おさ)の音を大地から空へ投げ上げていた。

この本は、遥かな筬の響きを伴奏に、さまざまに色を変える九つの空の下を、蟻のように歩き廻りながら、僕が心の底から歌った、地球への、人間への讃歌である。

164-168 ホワイト・サンズ : 原爆が始めて爆発した地

僕は、調べて来て知っていた。今、この小さな飛行機が飛んでいるすぐ西側の、黄褐色の砂漠こそ、我々の祖国を、完膚無き迄に叩きのめし、その後の世界地図を塗り変える事になった?原子爆弾?が人類の歴史上、初めて、?実験?された所である事を――。蚊のように、巨大な平原の上を飛ぶ飛行機のプラスティックの窓から見詰める黄褐色の砂漠は、今は、何をも表現せぬ荒れ果てた一枚のカーペットであった。それは、死んだ女の肌のように、あらゆる過去を刻みながら、何をも刻まれる事を拒んで来た冷たい物質のように見えた。

この実験は 1945 年 7 月 15 日にアメリカ原子爆弾計画最高責任者であったグローズウ少将、オッペンハイマー博士、フェルミ博士などの見守る中で行われたという。そして、それはそのわずか 21 日後には広島を、24 日後には長崎を壊滅させ、太平洋戦争の終結と冷戦の枠組みをも作ることになる。(p.170 に地図)

259-268 アルザス : フォアグラの歴史 (要約)

アルザスの東がロレーヌ地方で、ここはドイツ・フランス間における度重なる係争地となった。その歴史を紐解くと「フランク王国 -> ハプスブルク/カロリング/カペー家による分割領有 -> 30 年戦争後のウエストファリア条約でフランス領(1648) -> 普仏戦争後のフランクフルト条約でドイツ領(1871) -> 第一次大戦のロカルノ条約でフランス領(1919) -> 第二次大戦中はドイツ領 -> 大戦後はフランス領」という変遷を遂げている。

それゆえ、この地ではドイツ・フランスの住民・文化が入り交じっている。中心地はストラスブール。フランス第一の河港で仏原子力研究の中心地となっている。(今なら過去形というべきなのだろう。)

そして、有名なのがフォアグラ(Foie gras:脂肪の乗った(gras)肝臓(foie)の意味)――鵞鳥(ガチョウ)/家鴨(アヒル)の肝臓を人為的に肥大化させて料理したもの――である。

ギリシャ・ローマの時代からその珍味は知られており、ネロも食していたというが、フランスでそれが盛んになることはなかった。しかし、ルイ 15 世治下の 1762 年、美食の歓を好むコンタード侯爵がアルザス総督としてストラスブールへ赴任し、1778 年に当時 21 歳だったジャン・ピエール・クルーズという料理人を雇った。まもなく料理長となった彼は侯爵の料理会を切り盛りするようになる。そして、1780 年頃クルーズは侯爵より来たる料理会ではありきたりではないフランス一の料理を作るように命じられ考えたのが「麺麭(パン)皮を円く焼いて、その頃は珍しかった鵞鳥の肝臓を丸ごと入れて、更に仔牛の肉と豚の脂肪と香料を細かく刻んだ詰め物でその中を充たして、同じ麺麭皮で蓋をした上で、弱火のオーヴンに入れて焼く-/-こうすれば、豚の脂肪がゆっくりと融けて行くうちにフォアは香り良く、柔らかに焼ける筈-/-」というものであった。これが料理会において絶賛されると、ルイ16世にも献上され同じく大いに絶賛された。コンタード風パテと呼ばれたこの料理は瞬く間に当時の美食を求める貴族たちの間に広がったのである。

また、ストラスブールにはその政治的不安定さによる特殊事情もあった。つまり領土が旧教・新教の間を行き来したことから宗教的自由意識が強く、ユダヤ人とユダヤ教に対しても寛容であったこと。そしてユダヤ人は宗教上の理由により豚を食さないことから脂肪分として鵞鳥を食しており、鵞鳥がたくさんいたこと。また、当のクルーズが結婚後に料理長を辞退して民間の間に伝えられる契機を得たこともあった。加えて、ニコラ・フランソワ・ドワイアンという料理人が 1789 年の大革命によって貴族の元での職を失いストラスブールへやってくる。フォアグラを食したドワイアンは自分のかつて住んでいたドルドーニュ地方のベリギューで採れる珍味なきのこ:トリュフ(truffe)の芳香を加えることを思い付く。これは大成功で、このときからフォアグラとトリュフはお互いにとって最高の伴侶となり、料理としても一段と完成されたものになったのである。

フォアグラの製造シーズンは肝臓に脂の乗る 9 月から 1 月までである。フォアグラは貴重であるため、どの製造会社も品質には最大限の注意を払っている。

ちなみに、p.268-279 にはフォアグラの製品各種と鵞鳥の飼育風景が載せられている。まあ、私にはあまり縁のなさそうな話なので、これ以上は取り上げるにとどめておくこととしよう :-)

297-298 オーストラリアの歴史

-/-オーストラリアは、一七七〇年に、キャプテン・クックによって、移住可能の地として知られて以来、英国政府は、一七八七年以降、毎年数千人の囚人を、この大陸に開拓のために送り続けた。囚人をオーストラリアに送る制度を、英国政府がその悪評のために廃止した一八四〇年に至る迄、毎年二千人から三千人の囚人が本国から送られて来た事が記録に残っているから、流人制度が行われた五十三年間に送り込まれた囚人の数は、十万を下らない。もとより、移民は、囚人ばかりでは無かった。流人制度が廃止されて十一年目には金鉱が発見されて、それに依って起こったゴールド・ラッシュによって、自発的に流入して来た移民も多かったし、暫くしてから英国に起こった産業革命の余震で、生活方法の切り換えに乗り遅れて、土地や地位を失った人達や、イギリス人に追い出されてたアイルランド人達も、本国から続々と大陸にやって来て、今日のオーストラリア人の祖先となった。大陸にやって来た移民は、必ずしも楽な暮らしが出来た訳では無かった。後からやって来た移民達は、前にやって来て勝手に広大な土地を占有している牧場地主――スクォッターと呼ばれた――のために、自由には土地も得られなかったし、鉱山で働く人達の労働条件も著しく悪かった。遂に、支配階級である牧場地主(スクォッター)、鉱山主、政府に対する不満は爆発して、一八五四年の大武装蜂起となった。叛乱は鎮圧されたが、オーストラリアの今日の近代的国家の基礎は、この叛乱の影響下に、その後徐々に行われて行った民主的な趨勢に負うところが大なのである。独自の道を進み始めたオーストラリアから、英国は一八七〇年には軍隊を引き揚げ、オーストラリアは、自主防衛権を持った英帝国内で最初の植民地となった。一九〇一年に、オーストラリアは、英連邦の名を持つ、殆んど独立国並みの自治領となり、その政治形態が今も続いている。英国女王を元首に戴いた立憲君主国、それが今日の政治形態である。

317-318 エアーズ・ロックについて

丁度、最初の牧羊業者がこの地区に入って来た頃、牧羊業者の一人であった W.C.Gosse(ゴッス)という男が、アリス・スプリングズを出て、西南へ、西南へと旅を続けていた。牧羊に適した土地を探すためであった。数日して、この男は、見遥かす大平原に、奇妙な物を見付けた。近寄って行って、この男は、それが、世にも奇異な巨岩である事を知った。一八七三年の七月十七日。これが、ロックが白人に発見された最初だった。ロックは、当時の、南オーストラリア総督、Henry Ayers(ヘンリー・エアーズ)卿を記念して、エアーズ・ロックと名付けられた。白人としての発見者、ゴッスは、旅の日記にこう記している。

「二哩(マイル)の距離に近付いた時、巨岩は、この世の物で無いかのように、私の視界の中にあった。私の驚愕は、この、初めて見た巨岩が、平原からいきなり突出した immense pebble――凄じく大きな石ころであった事である」

多くの人達が、このロックの事を伝え聞いて、その地を訪れるようになったのは、然し、航空機の発展に依って、往来が簡単になった、極く近年になってからである。その極く近年になる迄の、数十年の間に、ロック周辺に暮らしていたアボリジン達は、?旅行者との間にトラブルが起こらぬために?そして、?目障りな?ために何処へか、保護という名によって、掻き消されてしまったのである。

# ちなみに仙人掌と書いてサボテンと読むそうだ
# なお、引用箇所では一部のルビを ( ) で補った (唯野)

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