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北の川から

書誌

text唯野
author野田知佑
publisher新潮文庫
year1997
price400+tax
isbn4-10-141010-0

目次

1感想
2抄録

履歴

2009.11.11読了
2009.11.18公開
2009.11.20修正

感想

野田知佑のカヌーエッセイ。『南の川まで』も読んだら上げるつもりである。

抄録

15-16

ここではカヌーを漕ぐこと、メシを食うこと、寝ること、魚を釣ること、本を読むこと以外にすることがない。漕ぎ下るべき川があり、釣るべき魚がいて、読むべき本があれば人生はほぼ満たされるのである。

これがアラスカやカナダの川旅のいいところだ。単純に。もっと、単純に。そして、大切な点だけは貪欲に味わい、強調して生きる。枝葉末節の事柄はどうでもいいのだ。

29

「ヒコーキの免許なんて」と官憲のコントロール、お節介を嫌い、「勝手に」飛行機を飛ばしている連中もいるのだ。

免許のない奴はどうなるかといえば、管制塔のあるちゃんとした飛行場に降りることができないだけである。

31

この村の大人たちは子供をいつもは放っておく。まったく構わない。しかし、遠くからよく見張っていて、いざという時にはピシリと注意を与える。この「距離」が見ていて好ましかった。子供を可愛がる、というのは甘やかすのとは違うのだ。

36

この村は「ドライ」ビレッジである。つまり「酒」はない。

その村、町を「ドライ」にするか「ウェット」にするかは村民全員の投票で決める。

その場合、ほとんど「ドライ」になるようである。酒で家庭が滅茶苦茶になった、というケースが原住民には多いのでそうなるのだ。

58-59

人間的ヘドロでドロドロに濁った菊池川を下った。美しいもの、快いものが少しもないので「多摩川方式」で下った。川の水、岸など風景は一切見ないようにして、上を向いて、空だけを見ながら下るのである。ひたすら上を向き、ビールを飲み、川の話は一切せずに、最近読んだ本の話、映画の話だけをしてカヌーを漕ぐのだ。

それではカヌーを漕ぐ意味がないではないか、といわれればその通りだ。

別にカヌーに乗る必然性は全然ないのだった。

この調子で川を潰されていくと、日本のカヌー屋は失業だ。

信じられないだろうが、日本のカヌー屋の中には「うちはカヌー教室の時に川原を使うので建設省にはお世話になっている。だから長良川問題で建設省に反対するデモには協力しません」といった程度の低い連中が少なくない。

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