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現代人の読書術

書誌

text唯野
author紀田順一郎
publisher毎日新聞社
year1972
price550
isbn500151-Y

目次

1感想
2抄録

履歴

1998.7.1x読了
1998.7.18公開
2002.4.9修正

感想

紀田順一郎が若者を対象者として書いた読書案内の書。ただ、刊年を見れば分かるように、本書はまさに「教養」が崩壊しようとした70年代初頭のものであり、いうなれば文庫本が古典の収録という使命をまだ一応は果たしていた時期のものである。ゆえに、この本を今日の読書離れ云々に結び付けてそこからの回復のための方便として論じることには意味がない。むしろ、本書において注目すべきは、読書の本質を突いた「書物とはどう接するべきか」の確かさと、それに対する十分な手応えを与えてくれる部分だというべきだからである。

抄録

10-11 本との出会い

現象というものはくりかえし起こる。だが、私たちがそれにふれるには一つの機会が必要だし、それを意味のあるものとしてとりこむには、ある必然的なものがなければならない。あらゆる体験は一回限りのものであり、それゆえにこそ貴重である。人と人の関係にして然り、人と書物の関係にしてもまた同じことがいえよう。

?出会い?という言葉がある。それは偶然のめぐりあいというロマンチックな意味あいをもっているが、じつは多くの必然的な要素の積み重なりを意味する。人が″一冊の本?に出会うのも、それがたまたま目についたという偶然だけでは何事も起こらない。なによりも、その人がその本を受けいれる精神状況にあり、さらにその本を消化しうるに足る過去の経験や知識が備わっているということが必要であろう。そうでなければ、その本と人は行きちがいになってしまう。

人は一冊の本と出会うためには、何百冊という本と行きちがいになっているはずだ。それゆえにこそ、一冊の本との出会いは貴重なのだ。

ところで一冊の本とは何だろう。要するに人生のいろいろな局面に意味をもった書物ということなのだが、いささか人生論くさくなるので定義づけはやめる。人はだれでも一冊の本を持っているのだ。ただ、それを意識化しているか否かのちがいがあるだけなのだ。

とにもかくにも、本書はこの辺の冒頭部分において、簡潔にして妙を得た箇所が並んでいる。要約してもよいのだが、まさしく再読して味わうためにも引用した。

書物にも食べ物と同じように「旬」がある。それは、その本を読んで「おもしろい」と感じることのできたときをいう。私はその意味でこそ書物との出会いは一期一会だと思う。

12-13 青春と古典

一冊の本が、少年時代から青春にかけて得られた場合、それほ一生を支配する力をもつ。人生観、思想傾向から職業まで決定してしまうことがある。従来、この種の本として多くあげられたのは、『ツァラトゥストラ』『論語』『君主論』『資本論』その他マルクス、エンゲルスの著作、『戦争と平和』『罪と罰』それに『聖書』や『歎異抄』『正法眼蔵』 などの宗教書などがあったが、これからの世代はどうか。すでに三十代前半の人で劇画の影響をあげる者が多いが、戦前教養派タイプの読書が否定された現在、一つの典型を求めることはむずかしい。-/-古典(クラシック)がただ古いという理由だけで権威性を保ち、それゆえに若い知識人をひきつけていた時代は遠い過去のものとなっているのだ。

むろん、そのことでクラシックじたいの価値がゆらぐことはみじんもない。百年、二百年という時の試練に耐え、人々に読みつがれてきた書物というものが、現代のさかしらな批判と無視に遭遇して消え去ってしまうなどということは考えられない。ただ、現代の熱い関心をもって選び抜くという態度は必要であろう。″読むべき書物?だから読むというのでは、どこにも生産的なところがない。文学全集などによる″あてがいぶち?の読書は、えてしてそのようなもので、当然永続しないのである。

-/-

クラシックというものは取っつきにくく、放っておけばなかなか読まれる機会がないために、一つの手段として偏重主義が出てくるのかもしれないが、その結果として奇妙な事大主義、権威主義、形式主義に支配される傾向も出てくる。この点に気がついていれば、クラシック中心の読書もけっこうだと思う。しかし、一般にはむしろ、同時代の書物の中から、将来にわたって価値あるものを選抜する″現場の眼?を養うように、と言いたいのである。

いずれにせよ、十代の末期から二十代の初期に接する″青春の書?は、名作や定評のある書物中心になるのはやむを得ない。音楽の鑑賞の場合も、最初から現代音楽にとりついたのでは何のことやらわからないので、『未完成』や『四季』『運命』などの通俗名作からはいっていく。文学作品についてもこの種の通俗名作があって、全集や文庫本の目玉商品となっている。『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『罪と罰』 『赤と黒』 『ジャン・クリストフ』などは、戦前から変わらぬ″永遠の名作?であり、最近はこれにへミングウェイやサルトル、カフカなどの作品が加わってきたという程度である。

これらの作品を内容的に青春の書と断ずるには問題がある。たとえば『アンナ・カレーニナ』は結婚生活を経験してはじめて深みがわかるし、『ジャン・クリストフ』における「広場の市」の草などは、社会人生活を経てようやくその真価が理解できるというもので、ただ若いスタミナでさっと読みとばしてしまうには、いかにももったいない作品である。-/-三十歳前後になると、いまさら長大な名作をという気持になり、ついに一生ふれないでしまうことになりがちである。それでもあまりに有名な作品は、読まなかったでは具合がわるいので、たてまえとして読んだことにしているという例が多い。

20 和歌森太郎氏による1冊の本の条件

17 青春の書とは後になって気づくもの

19 読書人のタイプの変遷

昭和三十年代の半ばごろから、若い読書人のタイプは大きく変わってきた。古典を下敷きにしてジャンルを拡大していくという、伝統的な読書家のタイプは少なくなり、のっけから現代文学を読み、あるいはミステリーにとらわれていく中間層が激増した。古典中心の文庫本が、方向転換を余儀なくされたのもこのころである。

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