人生論ノート
書誌
| text | 唯野 |
| author | 三木清 |
| publisher | 新潮文庫 |
| year | 1954 |
| price | 240 |
| isbn | 10-101901-0 |
履歴
| 2000.3.28 | 読了 |
| 2000.4.8 | 公開 |
| 2004.11.16 | 修正 |
感想
本の厚さとは裏腹に内容の濃い一冊である。形式としてはニーチェの『ツァラトゥストラ』のような警句交じりの体裁ともいえるが、さすがに本書の内容は一朝一夕にして消化できるようなものではあるはずもなく、こういう本こそは読書ノートも含めた再読が必要なように思う。
と同時に、この手の本こそはもっと学生のうちに読んでおくべきだったのかな――という感じがした。(まあ、学生のときは学生のときで「いつ読んだっていいや」と思っていたのであるから相変わらず阿呆であるが :-))それはともかく、なぜ前段のようなことを考えたのかというと、本書にはそういう読む時期の違いによって読み手に与える印象(影響)のかなり違ってくるだけの部分があるように感じられたからである。
抄録
9
-/-パスカルはモンテーニュが死に対して無関心であるといって非難したが、私はモンテーニュを読んで、彼には何か東洋の智慧に近いものがあるのを感じる。最上の死は予め考えられなかった死である、と彼は書いている。支那人とフランス人との類似はともかく注目すべきことである。
11
仮に誰も死なないものとする。そうすれば、俺だけは死んでみせるぞといって死を企てる者がきっと出てくるに違いないと思う。人間の虚栄心は死をも対象とすることができるまでに大きい。そのような人間が虚栄的であることは何人も直ちに理解して嘲笑するであろう。しかるに世の中にはこれに劣らぬ虚栄の出来事が多いことにひとは容易に気附かないのである。
15
-/-アウグスティヌスやパスカルなどは、人間はどこまでも幸福を求めるという事実を根本として彼等の宗教論や倫理学を出立したのである。幸福について考えないことは今日の人間の特徴である。現代における倫理の混乱は種々に論じられているが、倫理の本から幸福論が喪失したということはこの混乱を代表する事実である。-/-
17
幸福の問題が倫理の問題から抹殺されるに従って多くの倫理的空語を生じた。例えば、倫理的ということと主体的ということが一緒に語られるのは正しい。けれども主体的ということも今日では幸福の要求から抽象されることによって一つの倫理的空語となっている。そこでまた現代の倫理学から抹殺されようとしているのは幸福論であり、主体的という語の流行と共に倫理学は却って客観論に陥るに至った。幸福の追求がすべての行為の動機であるということは、以前の倫理学の共通の出発点であった。現代の哲学はかような考え方を心理主義と名附けて排斥することを学んだのであるが、そのとき他方において現代人の心理の無秩序が始まったのである。この無秩序は、自分の行為の動機が幸福の追求であるのかどうかが分からなくなったときに始まった。そしてそれと同時に心理のリアリティが疑わしくなり、人間解釈についてあらゆる種類の観念主義が生じた。-/-幸福論を抹殺した倫理は、一見いかに論理的であるにしても、その内実において虚無主義にほかならぬ。
22
機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。
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