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幻想博物誌

書誌

text唯野
author澁澤龍彦
publisher河出文庫
year1983
price420
isbn309-40059-0

目次

1感想
2抄録

履歴

2002.5.22読了
2002.6.2公開
2002.6.22修正

感想

人間の空想力が生み出した生き物を追った本。この種の話題は古くは南方熊楠(とはいえ、私はまだ『十二支考』を未読である)、最近なら荒俣宏あたりの本でも楽しめるが、この手のジャンルというものを世に広めた立役者として澁澤龍彦の名を避けることはできないだろう。そして、その着眼点に関しては著者自身による以下のような的を得た一文がある。

ヨーロッパの中世は幻想動物の花ざかりである。いや、動物ばかりでなく、書物や造形美術の世界には、畸形人間というべき怪物までが、おびただしく登場する。まだ地理上の発見が行われず、世界全体に対する知識が広く及んでいなかった時代には、ひとびとは頭のなかで空想をたくましくして、見たこともない世界の辺境に、そのような怪物が実際に棲んでいると考えたらしいのだ。(p.28、cf.34、58-59、102)

そして、私はこういう本から知ることのできる世界を本当におもしろいと思う。むろん、こういった世界の産物を無知の一言で片付けるのは容易だが、そこからうかがうことのできる想像力の系譜というか連鎖というものが実に興味深い。つまり、元が誤解なり想像力に基づく情報だったのに、更にそれが既成事実として新たな、そして別の想像力として受け継がれていく部分についてである。そして、ここが重要なのだが、恐らくにしてその多くは大まじめなものだったのだ。

だから、逆に近世の挿絵画家による博物誌のおもしろさというのもそこにある。なぜなら、ありえないものを実在のものとして博物誌に書くという行為は、真の意味での世界の創造であり解釈だったと思うからだ。今の時代にそんなことができるだろうか ? せいぜいが既成の物理法則の枠内での宇宙人なり、フィクションであることを前提としたフィクションというところだろう。だから、現代の我々はそれをなぞることによって自分たちの持つ知識とのギャップを楽しむというわけだが、これは正確にはギャップを楽しむことしかできないというべきなのである。

抄録

20-21

ところで、ヘルベルト・ヴェントの『物語世界動物史』によると、この犀はインドからヨーロッパまでの航海中、狭い船倉に長いこと閉じこめられていたために、皮膚に角状の腫れ物がたくさん出来てしまった。しかしリスボンの無名画家もデューラーも、そんなことは一向に知らず、犀の皮膚には必ず、このような腫れ物がぶつぶつできているのだとばかり考えて、そのまま忠実に写したのである。それで、その後のあらゆる博物誌の本には、この奇妙な腫れ物が、犀そのものの特徴として描かれることになってしまった。

25/26

それでは、プリニウスの観察はいつもこのように正確かというと、決してそんなことはない。(『博物誌』の:唯野注)すぐ次の第八巻三十章には、彼はエティオピア産のスフィンクスだとか、翼のある馬ペガソスだとか、あるいはマンディコラスだとかいうような、わけの解らぬ怪獣の名前やら性質やらを、ずらずらと書きならべているのだ。三十二章には、やはりエティオピア産のカトブレパスという、奇々怪々な動物なども登場する。どうやらエティオピアという国は、プリニウスにとって怪獣の宝庫ででもあるかのごとくである。

プリニウスの中に出てくる怪獣について一つ一つ語っていたら、おそらく切りがないだろう。カトブレパスのように、意味だけがあって、まるで実体がなく、何の具体的なイメージをも喚起しないような怪獣は、それだけに一層、詩人や作家の空想力を刺激する。だからラブレーやフローベールは、これを自作のなかに採り入れて、思いのままに造形することもできたのである。-/-

29-30/30

クテシアスは紀元前四世紀後半、ペルシア軍に捕えられ、ペルシア王アルタクセルクセス二世の侍医として十七年間を過した男だった。ギリシアに帰ってから、当時の見聞をもとにして、インドに関する地誌を書いたが、実際にはインドへ行ったことはなかったのである。しかし彼の書いた空想的なインドの物語は、ギリシア世界で大いに歓迎された。このクテシアスのインドの物語のなかに、一本足のスキヤポデスだとか、犬の頭をした人間キュノケファロスだとか、背の高さが三十センチしかない小人ピュグマイオイだとか、人間の頭をした獅子マルティコラスだとか、黄金の宝を守る怪獣グリフィンだとか、さては一角獣だとかいった生きものが登場していたのである。(つまり、ここでの生き物をヨーロッパに伝えたのはクテシアスだったということ:唯野注)

この嘘八百は、ローマの時代になっても、書物から書物へと受け継がれた。プリニウスがこれを『博物誌』のなかに集大成し、ソリヌスがこれを抜萃して『地誌』を書いた。聖アウグスティヌスもまた、その『神の国』の第十六巻八章に、これらの怪物たちの名前をずらずら書きならべている。もっとも、さずがに彼は、空想的な怪物どもの実在をいくらか疑っている。かりに怪物どもが実在するとしても、それは自然の理法であり、彼らとてアダムの子孫であることに変りはないのだから、いたずらに差別したりしてはいけないと考えている。cf.32

50-52

ルドルフ(ハプスブルク家のルドルフ二世を指す:唯野注)は動植物のコレクションに異常な情熱を燃やした皇帝で、その動物園にはドードーのほかにも、新大陸のオウム類、ニューギニアの極楽鳥の剥製、モルッカ諸島のヒクイドリなどといった珍鳥が集められていた。ドードーは、このルドルフの宮廷で、たちまちオランダ人やドイツ人の動物画家たちの人気者になった。

そして、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』にも登場する、この奇妙な鳥が発見からわずかの間に絶滅の憂き目に遭ったのは周知の通りである。

72-73

こうしてみると、王冠をいただいて威容を誇っているエジプトの男のスフィンクスと、乳房を突き出して女の顔をしたギリシアのスフィンクスとのあいだには、歴史的な影響関係はほとんどなかったのではないか、という気がしてくる。だいたい、ギリシアのスフィンクス伝説の起源がせいぜい紀元前八世紀ないし十世紀だと思われるのに対して、エジプトのスフィンクスの造られたのは、何と紀元前三十世紀の大昔なのである。ヘロドトスのエジプト旅行でさえ、ずっと後の紀元前五世紀のことにすぎなかった。

スフィンクスという言葉は元来ギリシア語で、「絞め殺す者」というほどの意味である。括約筋をあらわすスフィンクターという言葉も同じ語源だ。おそらく、ギリシア人は幾千年の歳月に堪えて残った、砂漠のなかの大昔のエジプトの巨像を見て、それが自分たちの発明したスフィンクスにいくらか似ているところから、この名前を巨像にも適用したのであろうと思われる。こうしてスフィンクスとギリシア名で呼ばれるようになると、エジプトの巨像の本来の名前は失われてしまったらしい。

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