カヌー犬・ガク
書誌
| text | 唯野 |
| author | 野田知佑 |
| publisher | 小学館文庫 |
| year | 1998 |
| price | 438+tax |
| isbn | 9-411021-6 |
履歴
| 1997.winter | 読了 |
| 1998.7.18 | 公開 |
| 1999.10.30 | 修正 |
感想
映画にも出演した野田知佑の相棒であるカヌー犬・ガクについて記した本である。日本各地はもちろんアラスカのユーコン川なども共に過ごした友人に対して捧げられた一冊といっては言い過ぎか ? しかし、本書を貫く著者の気持ちはまさしくそれ以外の何物でもないように私には感じられる。
或いは、そこには生き物を通じて人が何を学びうるのかが記されているといってもいいように思う。つまりは、その死を通じて何を学ぶのか...そして何を得ていたのかを省察するということだ。そこで著者はいう。「イヌは好きだが死なれると悲しいので飼わないという人がいる。ぼくはこんな人は嫌いだ。ガクが死ぬのなら目をそらさずにじっくりと見て、看取ってやろう。」と。私もそう思う。
抄録
18
日本の軟弱社会化はこんな僻地の村にも及んでいる。村人が動物を怖がるのは異常なほどである。この間まではどの家にも牛や馬がいて、大型動物に慣れていたのが、それがいなくなって、今では大の男が犬におびえる。
そういった親を反映して山村の子供たちは驚くほど動物を嫌い、生きものを気味悪がる。かえって都会の子供に、恐いもの知らずで、動物を怖がらないのが多い。
(カッコの箇所は省略した : 唯野注)
最近の氏の著作ではこの手の指摘が多い。田舎育ちの私がどうかといわれても思い当たる節があるのだから、結局は(私自身も含めて)事実ということである。そして、それは藤原新也が指摘するような(それが拡大した姿としての)老人などを汚いものとして忌み嫌う論理へとつながっているのだろう。
19
椎名誠は、「日本ほど、犬と子供が惨めで不幸な国は世界にない」という。この二つの生きものが過保護社会の影響をモロに受けているというのだ。-/-
子供のペット化(視)とペットの子供化(視)と、どちらが先なのだろーか ?
47-48
ぼくはアラスカに住む白人たちに興味がある。彼等のほとんどが他の地で生まれ、育ち、二〇歳を過ぎて『荒野の自由』『何もない所』に憧れてやって来た人たちだ。もちろん、そのうちの大半は何年かすると我慢できずに文明社会に戻って行く。しかし、残った人たちは一騎当千の強者だ。独立心が強く、肉体的な苦痛をへとも思わず『広い空間』『自由であること』を何よりも大事なものと考える人たちである。
本当の自由とは何なのか ? もちろん、ここでいうものだって、自由のうちのひとつの解釈ではある。しかし、やはりその対価は大きいものなのだということは共通した事実であろう。
48-49
ここの生活はとてもハードだ、とその若奥さんはいった。冬になれはお楊一つわかすのにも、川の一mもの厚い氷を割り、水を汲み、薪を割って火をおこし、といった手間をかけなければならない。肉は森の中に入って獣を撃って手に入れる。生存(subsistence)のために一日の半分の時間を費やす生活だ。
何故、アラスカに来たのか、という問いに彼女は答えた。
「内地にいた時は何もしなくても何でも手に入ったけど、私は退屈だった。ここでは色々大変だけど、やらねばならないことが沢山あって楽しい。体をめいっぱい動かして生きる生活がとても気に入っているわ」
彼女は三〇kgはありそうなキング・サーモンをギャフでひっかけエイッと台の上に放り投げた。
荒野の中での生活はとてもハードだが、そうすることで生き生きとしてくる箇所がある。それは都市生活の便利さの中では決して目覚めない部分だ。
ユーコン川を下る時、ぼくは自分の持っているカ、能力を一〇〇パーセント使って生きる。全力を上げて生活する。それに比べると都市の中ではその十分の一もカを出していない。
それ程、文明社会の中での生活は安易、便利にできているのだ。
完全燃焼、全力投球の生活をするとその代償として独立心、自己への信頼を手にする。
「俺は今、全く自分を信頼している」
という心境は現代ではもっとも手に入り難いものの一つだろう。ユーコン川の流域に住む人たちの確信に満ちた生活振りを見ているのは気分が良かつた。
私はこの文章を引用することで、アラスカでの暮らしがいいのだとか、アラスカは日本よりもよいところなのだ...ということがいいたいわけではない。そうではなくて、この文章は文明を享受する現代人が頭の片隅でよいから絶対に認識しておくべきことだと思ったからそうするのである。
60-61 遊び心について
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