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続 ふところ手帖

書誌

text唯野
author子母澤寛
publisher中公文庫
year1975
price300
isbn12-200252-4

目次

1感想
2抄録

履歴

2002.1.28読了
2002.2.27公開
2002.5.4修正

感想

というわけで 『ふところ手帖』 の続編。こちらも正編と同様おもしろい。既に書きたいことは正編の方へあらかた書いたのでその辺は割愛するが、全体的にいってこちらは遊侠絡みのものが多い。

抄録

8

与力はみんな大名屋敷の法律顧問のような事をやっていて、それぞれお出入り屋敷があったから、お留守居役の往復などもはげしかった。役得といって、盆暮には纏った金を貰い、蔵産物(くらもの)といって土地の名産の絹の織物などを一年間には着切れない程、贈られるので、その大名のために、よく働けば働くだけ、いただき物も多く、ふところも甚だ有福になった。表向きは二百石だが、どうしてどうして、内々は相当な旗本以上の生活が出来た。

11

前にも言った通り、与力や同心は風態(ふうてい)が違う。町へ出てもすぐにそれと知れるので、うっかり遊び場などへは立ち入れない。仕方がないから、毎夜のように、その屋敷屋敷で、定って何か楽しみの催物をした。自分達も、一寸した手踊や遊芸は出来る。妻女や娘達も凡そそんな風である。

何しろ与力は一日を持て余す程ひまである。十一代将軍の時代などは、徳川繁栄の極に達した平和時代で、奉行所へ行っても、まるで用がない。大抵昼四つ(十時)に出て、すぐに弁当、ゆっくり茶をのんで八つ(午後二時)には、もう退けて終ったものだ。職は世襲だし、役得にしたってお互様だ。怠ける位のことで首になる筈もないから、人間、いやでもそんな事になる。

17

盗みに入る時は、屋根から入り、天井裏をはって、ここから降りて来るので、鼠のようだということから、鼠小僧となった訳だが、小肥りで丈低く、並よりはずっと小さな男である。身の軽いのは鳶人足をやったからだ。

18

だから、盗っ人であるのは、女房にも隠していたし、住居をかえるのは、隣り近所に感付かれない用心だ。その女房にしたところで、柳橋の小花だの、常盤津の師匠だのと粋なものではなく、極く詰らないすべた女ばかりだ。住居もいつも裏長屋にいて、自分も垢のついた着物を着て、贅沢もしていない。これは世間態を誤魔化すというばかりでなく、その程度が正体なので、講談の上でやれ「茅場町の親分」だの「親分さん」だの、はては「和泉屋の兄イ」なんかと言われるような男ではなかった。

25

丈が低くて、肥っちょで丸顔と言えば、余りいい男ではなさそうな次郎吉が、そちこちで、女に惚れられてばかりいるいい男になったのは、二代目伯円(嘉永の人:唯野注)の芸の力。伯円の作った講釈が数ある中にも、この「鼠小僧」と「天保六歌撰」は傑作である。cf.27

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