長征
毛沢東の歩いた道
書誌
| text | 唯野 |
| author | 野町和嘉 |
| publisher | 講談社文庫 |
| year | 1995 |
| price | 860 |
| isbn | 6-185990-0 |
履歴
| 2002.12.15 | 読了 |
| 2002.12.30 | 公開 |
| 2003.12.4 | 修正 |
感想
中国共産党の歴史を紐解く上で長征は絶対に避けることのできない 1 ページである。この一大逃避行によって毛沢東は権力を掌握し、国民党からの追撃をかわした。そこで本書は、長征に参加した人々を訪ねつつそのルートをたどる写真紀行になっている。個人的にはもう少し当時の毛沢東がどのような行動を取っていたのか、その権力をどうやって掌握するに至ったのかといった向きでの内容を期待したのだが、そういう方面にはあまり突っ込まず、意図的だろうが政治色はあまり強くない。しかし、本書が見せる人間の歳月に対する視点は独特であり、その点ではためになった。
なお、本書はちょうど戦後 50 周年の際に刊行されていた本の 1 冊である。「こんな類の本が出るのは次は四半世紀後か 1 世紀たたない限りあるまい」というわけで関連する文庫は割と集めた記憶がある。実際、その後はこんな本も見かけなくなり、終戦もメモリアルに化してしまったといってはいい過ぎかもしれないが、それはそれで一面の真実なのではないかと思った。
抄録
8-10/18
当時、近代兵器を備えた国民党軍(蒋介石)の前において共産党軍は弱小軍隊に過ぎなかった。蒋介石は日本軍と闘う傍ら 1930 年 11 月に紅軍殲滅作戦に乗り出し、これで窮地に追い込まれた紅軍第一方面軍は 1934 年 10 月に本拠地(瑞金、ちなみに発祥の地が井岡山(せいこうざん))を捨てて退却を開始する。そして国民党軍の追撃を振り切りながら止まることなくチベットの大草原を経て陜西省北部に新本拠地を得るまでの 1 万 2500 キロに及ぶ移動のことを長征と呼ぶ。この間に当初 8 万 5 千の紅軍はわずか 7 千余となった。そして、その中心を担ったのは赤匪と呼ばれる最貧層の農民たちであり、それを生き延びた人間の中に毛沢東、周恩来、劉少奇、林彪、小平らがいた。
36
-/-私が長征ルートで話を聞いた何人かの農民は、四十年前に比べて食えるようになった革命の成果を強調していた。飢餓はそれまで慢性的な病として中国社会に貼りついていた。
しかし、これは日本の場合も大差はなかったのではないかと思われる。例えば 『東京の下層社会』 など。
62-63
長征ルートの各地には、毛沢東ら紅軍幹部の旧居、主要な会議の行われた場所が革命史蹟として手厚く保存されている。それらの大半は地主を追い出したあとの屋敷、もしくは祠堂である。祠堂はところによっては大きな寺ほどの建物もある。
国民党の台湾への撤退とともに、宗族社会の支配層であった地主の多くが台湾に逃れた。そしてさらに、文化大革命の折に、封建社会のシンボルとされた祠堂の多くが紅衛兵によって叩き壊された。神像は薪にされ、祭壇の置かれてあった正面には、"毛主席万歳" だの "共産主義是天堂(楽園)" などというスローガンを残したまま今は物置き小屋として放置されている。-/-
65
-/-最大の苦しみは夾金山を越え、さらにチベットの大草原を脱出するまでの、高山病、飢え、寒さと闘った三ヶ月であったという。これは紅軍兵士ならだれに聞いても同じ答えが返ってくる。-/- cf.69/121/126
86
-/-約一千年の間、中国の男たちは小さい足の女を所有することに執着してきた。素足は夫以外の男には絶対見せない。「沓を脱いでもらえないか」と言うと、裸になれと言うのと同じ意味だと通訳に笑われてしまった。
一方で、いまだに中国に根強く残る離婚、再婚へのタブー視について。cf.119
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