悪人礼賛
書誌
| text | 唯野 |
| author | 中野好夫 |
| editor | 安野光雅(編) |
| publisher | ちくま文庫 |
| year | 1990 |
| price | 690 |
| isbn | 480-02501-4 |
履歴
| 1997-99 ? | 読了 |
| 2000.8.16 | 公開 |
| 2002.4.9 | 修正 |
感想
著者は英米文学者・平和運動家として著名な人。本書では戦前・戦中・戦後を通じて反戦をうたいながらも挫折したひとりの知識人の思いが様々な視点から示された一冊となっている。戦争を知らない世代である我々にとって、こういう転向・反動・思想の変節というような発想というものは分かりにくいのが正直なところであるが、逆にいうとそれだけに「あの時代」の証言としては貴重なものがあると思う。また、それゆえにこそ著者のいう民主主義の尊さ、市民にとっての義務といったものにも強い説得力があるといえる。乱暴な言説を唱えているように見えて、それを少し掘り下げてみれば、そんな安直なものではないということがよく分かる本だと思う。
抄録
11-12
それにしても世上、なんと善意、純情の売り物の夥しいことか。-/-
善意から起る近所迷惑の最も悪い点は一にその無法さにある。無文法(ノー・グラマー)にある。警戒の手が利かぬのだ。悪人における始末のよさは、彼らのゲームにルールがあること、したがって、ルールにしたがって警戒をさえしていれば、彼らはむしろきわめて付き合いやすい、後くされのない人たちばかりなのだ。ところが、善人のゲームにはルールがない。どこから飛んでくるかわからぬ一撃を、絶えずぼくは恟々(きょうきょう)としておそれていなければならぬのである。
16
-/-たとえば近代物理や天文学や確認している宇宙の中にあって、地球の存在の如きは一点の微塵にしかすぎぬものであろうし、その地球上に、たまたま偶然中の偶然ともいうべき生命存在の諸条件が整って発生したとしか思えぬ人間が、彼ら自身の醜悪の救済だけを独善的に大きく取り上げ、またつくり上げた神の観念など、私にはフィクション以上には考えられぬ。かりに神が実在するとして、その神がもし人間だけをその選ばれたものとして、既成宗教のいうごとき問題にしているとすれば、神はなんというおそるべき無駄をするものであろうか。-/-
17
個人の生命そのものの意義を過大評価することは、私は近代人間の抱く最大の迷妄ではないかと思っている。-/-そして一人の人間の死は、決して生命軽視の意味でではなく、むしろ人類という polypidom の発展、生長という意義の中で、単に一個の珊瑚虫の死に比せられていいのではあるまいか。過去数千年にわたる人類文明の発展の跡を考えてみても、個体そのものの死は、せいぜいそんな風な程度に評価されて然るべきではないのか。-/-
20
といって、私はマルクスのいわゆる「各人の能力に応じて各人から、各人の必要に応じて各人へ」という高次共産主義社会の出現は、現在のところ信じない。人間の原罪的エゴイズムを信じないわけにはいかぬからである。封建社会を崩壊させ、資本主義社会を実現させたものが、私利私欲の追求者としての人間であったように、社会主義社会を実現させるものもまた、私は同じ私利私欲追求のエゴイズムであるような気がする。ただそれは昇華されたエゴイズム、いいかえれば人間の新しい知恵が、ときには各人の徹底的私利私欲追求に多少自制を加えることこそ、かえって実は私利の増進を促すような段階に到達したと知ったとき、はじめてそれは合理的解決として十分実現されるだろうと信ずるのだ。
27
-/-決死隊美談や壮烈功名談を生む戦闘は結局最も拙劣な作戦の証拠だとは、故名参謀秋山真之の至言だが、ほとんどすべての場合、社会美談は悪い社会の症状でしかないのである。
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