めざせ! シリコンバレーエンジニア
Engineering Life in Silicon Valley 特別編
書誌
| text | 唯野 |
| author | H.Tony Chin |
| publisher | CQ出版社 |
| year | 『Interface 2000.7 別冊付録』 |
履歴
| 2000.8.10 | 読了 |
| 2000.8.17 | 公開 |
| 2000.12.29 | 修正 |
感想
Interface 誌の連載を再構成したもので、日米におけるエンジニア像の違いが見えて大変におもしろい一冊。同じコンピュータのエンジニアといっても、国によって結構、職場環境から生活スタイルに至るまで幅のあるものだということがよく分かる。また、シリコンバレーを特徴付けるキーワードといってよい「ベンチャー企業」に関しても多くの項が割かれており興味深かった。意識面を含め、そういった違いを知るだけでもプラスになる内容だった。
抄録
3-6
アメリカ東海岸にはワシントン DC やニューヨーク、大学では MIT、Yale、Harvard などがあり、IT 関連では旧 DEC、旧ベル研(現 Lucent)、IBM、Kodak といった老舗企業の本拠地がある。一方、シリコンバレーは西海岸の San Francisco Bay Area (San Francisco 市を南に約 80 km のところ)にあり、Los Angeles、Las Vegas、MS 本社のある Seattle までがほぼ等距離で交通の便もなかなかよい。(ちなみにシリコンバレーとは俗称で、正確には Santa Clara Country (郡)を中心にした地域ということ。)気候が温暖で Stanford や UC Berkeley といった人材の供給源、ベンチャーキャピタルによる資金源といった全体的なインフラの揃っていることが、シリコンバレーの発展を促してきたといえる。とはいえ、最近では、これらの周辺地域にもハイテク産業は進出しており、他ではアパレル産業にも強いという特色がある。(Levi's などの本拠地がある。)また、多くの人は San Francisco にはゴールドラッシュの精神が生き続けていると主張しており、そういった背景も影響しているようだ。
7-8
Hewlett-Packard はシリコンパレー企業のプロトタイプとして、その HP Way は後発の企業に強い影響を与えてきた。ちなみに HP は David Packard と William Hewlett が 1931 年に Stanford 大学で出会い、1938 年に Palo Alto のガレージでオシロスコープを作ったことに端を発している。シリコンバレーにはベンチャー企業の誕生から解体までをサポートするプロたちが揃っており、その中で何度もベンチャーに挑戦するというリピータが多い。経験を積みながら何度もチャレンジするというのが一般的になっている。
逆に、シリコンバレーでは個人の犠牲(ヒューマン・コスト)が高い点や生活費の高さ、流動的な人材などに問題点があるといえる。
9
アメリカの大学には学生をパートとして雇うサマー・ジョブと呼ばれる制度があり、また 4 年生を前にして企業へのインターンをすることもできる。(学生にとっては得がたい経験となり、企業にとっては安い賃金で人を雇うことができる。)
11
大学で学ぶのは細かいエンジニアリングではなく、ちょっとやそっとではへこたれない問題解決への取り組み方だった。アメリカの大学は一般に入試よりも入学後が難しく勉強に追われるため、限られた時間を有効に使うための「よく学び、よく遊ぶ」というのが学生の在り方になり、それが更にシリコンバレーでの「よく働き、よく遊ぶ」という気風につながっている。
12
オフィスでは「自分が最も長い時間を過ごす場所だから」という理由で、何かのテーマに沿った飾り付けをしている人が多い。シリコンバレーのエンジニアは個人がパーテション付きの Cube か個室をもらうことがほとんどなので、要はそこを自分の部屋にしてしまうのである。
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