The Sense of Wonder
センス・オブ・ワンダー
書誌
| text | 唯野 |
| author | レイチェル・カーソン |
| editor | 上遠恵子(訳) |
| publisher | 佑学社 |
| year | 1991 |
| price | 1,200 |
| isbn | 8416-0700-5 |
履歴
| 1997 ? | 読了 |
| 1999.5-6 | 公開 |
| 2002.1.6 | 修正 |
感想
ふしぎをふしぎに思う気持ち...それがレイチェル・カーソン最後のメッセージとなったセンス・オブ・ワンダーである。現代に生きる我々にとって、子どものみならず大人にとっても本当に大切なものとは何であるのか...本書の言葉はまさしくそれを知るための大きな答えのひとつであろう。
いうまでもなく彼女は海洋生物学を専攻する傍らで、文学者としても数々のベストセラーを著し、遂には「沈黙の春」に至る。「沈黙の春」そのものは既に古典的な意味合いが強く、今日においてはそのメッセージ(問題提起)よりも現実的な対策が求められる時代となっている。しかし、その彼女が「沈黙の春」執筆中から構想をあたためていたのが、この「センス・オブ・ワンダー」であった。
本書の対象者はもちろん子どもである。そして、ものごとを学ぶ上で最も重要である「意外性」を育むために大人にできることは何であるのかを問うている。しかし、少し考えてみれば分かるように、本書の真の対象者は大人のひとりひとりでもあろう。なぜならば、これは読み手が大人であっても考えさせられる視点に満ち溢れているからだ。自然や未知なるものに対して何を感じどうふるまうべきであるのか...自らを省察する意味でも本書は一読に値する一冊である。
抄録
10
ただ、わたしはなにかおもしろいものを見つけるたびに、無意識のうちによろこびの声をあげるので、彼もいつのまにかいろいろなものに注意をむけるようになっていきます。もっともそれは、大人の友人たちと発見のよろこびを分かち合うときとなんらかわりはありません。
21-23
子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしわたしたちが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。
妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘さなどを子どもといっしょに再発見し、感激を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気がつき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」と嘆きの声をあげるのです。
わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感性、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
50
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘さを感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通じる小道を見つけだすことができると信じます。
追記
どうでもよいのですが、レイチェル・カーソンの著作を「沈黙の春」から「センス・オブ・ワンダー」に至る道筋として捉えたときに、私はそれ(センス・オブ・ワンダー)がカーソンにとっての最後のメッセージになっていたのだというのは、極めて興味深いことだなあと考えずにはいられません。
恐らく、彼女は自身でも「沈黙の春」がセンセーショナルなものとなりながら、その時点で既に「では、それをどうすればよいのか」を模索していたのではないかと思います。それは、まず「われらをめぐる海」などにおける自然への讃歌としてかたちになったのだと思うのですが、更にそこでさえも止まらずに、メッセージを世代を超えたものにまでしようとして「センス・オブ・ワンダー」へと至ったように思えてならないからです。
つまり、小手先としてのリサイクルの推進だとか被害者支援(いうまでもなく、それはそれで極めて重要です)という視野ではなくて、もっともっと巨視的な意味での、その精神を育むとは何なのか...それも次代を担う子どもにとって...また具体的には何なのか...までいっていたような気がするのです。そして、それが「センス・オブ・ワンダー(私は「ふしぎをふしぎと感じるこころ」と解釈しますが)」なのだとしたら...すごい先見性というかそこへ至る足取りのすごさを感じるわけです。
童話作家でもなければ教育家でもなかった(海洋生物学者としての)カーソンが、ああいうメッセージを最後に残したとはどういうことなのか。教育というものを今日的に読み解く可能性は案外とこういう辺りにあるのではないかとも考えます。なぜなら、彼女のメッセージが恐らく子どもだけではなく、(それを読み聞かせる ?)大人に対しても向けられていたとするならば、それは必然的にそういう問いにもなるのではないかと考えるからです。
# 最近、「センス・オブ・ワンダー」を再読して、そういえばこんなこ
# とを思いましたので、追記(カーソンの足取りから思うこと)として補
# 足いたします。
読書案内
『沈黙の春』新潮文庫
『われらをめぐる海』ハヤカワ文庫
『海辺』平河出版
『潮風の下で』宝島社
