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われらをめぐる海

書誌

text唯野
authorレイチェル・カースン
editor日下実男(訳)
publisherハヤカワ文庫
year1977
price480
isbn15-050005-3

目次

1感想
2抄録

履歴

2000.2.2x読了
2000.3.4公開
2002.1.6修正

感想

レイチェル・カーソンが地球という環境を特徴付け、またその生命の源となった「海」をテーマとしつつ、その働きから人間生活への関わりまでという非常に幅広い分野を包括的に取り上げた本。原著でのタイトルを「THE SEA AROUND US」といい、本国のみならず世界各地において翻訳され高い評価を得た一冊である。

文才のある学者が本を書くと、単にためになるだけではない実によい本を書くものだが、その代表格がカーソンといってよいかもしれない。彼女は本業が海洋学の学者なので海について詳しいのは当たり前なのであるが、それをこういうかたちで案内できる――というところこそが本当にすごいからである。私のような門外漢にさえ科学的好奇心を刺激させる、そういう意味においてこそ真に賞賛されるべき点のある本だと思う。

抄録

24-25

海辺に立ったとき、人は、自らの家系について無意識のうちに意識しながらも、驚きと好奇をもって、それを見渡したにちがいない。かれは、アザラシやクジラたちがしたように、肉体そのものをふたたび海のなかに帰らせることはできなかった。しかし何世紀にもわたってその技術と才智、それから理性の力のすべてを動員して、人は、海のもっとも遠くはなれた領域さえも、探索し、調査しようと努めた。

その結果、人類はいわば精神的に、また想像の力で、ふたたび海に帰ったのである。

こうして人間は、かれの母なる海へ帰ったと思っている。しかしかれは、その短い陸上の仮住まいの間に、陸地を征服し掠奪したようには、海を支配し変革することはできない。都会や町のような人工の世界のなかにいると、かれは自分の惑星の真実の姿や、人類という種族の存在がほんの一瞬間を占めたにすぎない、この惑星の長い歴史のなかの追憶の数々を、しばしば忘れてしまうものである。

30

-/-かれらは、海流がかれらを運ぶところに漂ってゆく。海の力に逆らおうとするどんな力も意思もない――。このような動物たちと、かれらを養う海の植物たちから成る奇妙な集合体は、?プランクトン?とよばれている。

それは?さまよい歩く?という意味のギリシャ語に由来した言葉である。

32-33

-/-ある種の生物が、季節的に大繁殖すると、世界各地にむかしから知られている?赤潮?をひき起こす。

このような条件は、四方を閉ざされている海のなかではごくふつうに起こるものだ。そしてたとえば、紅海や朱海という名のもとになったのである。

海の色は、その表層の生物を維持するのに必要な条件の有無を、いわば間接的に表示しているにすぎない。海の生物たちが生活できるかどうかの大部分を決定するのは、海面以下の部分である。なぜなら、海というものは、どこでも同じ濃度の溶液では決してない。その塩分の濃度も場所によって一定しないし、暖かいところも、冷たいところもあるからである。

68

それにもかかわらず、海水の重さ――数マイルの厚さの海水が、その下層に横たわるすべてのものを圧する力は、水そのものに、かなりの影響をおよぼしている。-/-

79/101

けれども深海での測深は、当時としては労働力と時間を消耗する仕事であったし、その後も長い間そうであった。そして海底の地形についての知識は、月の表面の景観についてよりも、余程、遅れていたのである。

台地や海や空のどの部分にも、それ自身独特な雰囲気、つまり自らを他のすべてから区別する性質とか特性といったものがある。私が深海の底について考えるとき、私の想像力を独占する、唯一の胸に迫る事実は、堆積物の蓄積ということである。私には、絶え間なく、一様に、上のほうから下へ下へと漂い落ちてくる物質が見える。それは一片また一片、層の上に層をかさねて――すでに何十億年にもわたってつづいてきたところの、そして海と大陸があるかぎり、いつまでもつづくであろう物質の漂移である。

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