自省録
書誌
| text | 唯野 |
| author | マルクス・アウレーリウス |
| editor | 神谷美恵子(訳) |
| publisher | 岩波文庫 |
| year | 1956 |
| price | 400 |
| isbn | ? |
履歴
| 2007.12.18 | 読了 |
| 2010.10.20 | 公開 |
| 2010.10.22 | 修正 |
| 2010.11.03 | 修正 |
感想
ストア哲学者で哲人皇帝と名高いマルクス・アウレリウスの非常に有名な本である。が、これまで読んだことがなく、ようやく手に取ってみたという次第である。内容的には引用されて有名な言葉もあるし、ストア哲学において特徴的な禁欲面が出ているのもよく分かる。警句集としては今でも古典の一冊として十分な内容だと思った。
抄録
22
五 至る時にかたく決心せよ、ローマ人として男性として、自分が現在手に引受けていることを、几帳面な飾り気のない威厳をもって、愛情をもって、独立と正義をもって果そうと。また他のあらゆる思念(パンタシア)から離れて自分に休息を与えようと。その休息を与えるには、一つ一つの行動を一生の最後のもののごとくおこない、あらゆるでたらめや、理性の命ずることにたいする情熱的な嫌悪などを捨て去り、またすべての偽善や、利己心や自己の分にたいする不満を捨て去ればよい。見よ、平安な敬虔な生涯を送るために克服する必要のあるものはいかに少ないことか。以上の教えを守るものにたいして神々はそれ以上何一つ要求し給わないであろう。
六 せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。自分を大事にする時などもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はもうほとんど終りに近づいているのに、君は自己にたいして尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。
25
十二 なんとすべてのものはすみやかに消え失せてしまうことだろう。その体自体は宇宙の中に、それに関する記憶は永遠の中に。すべて感覚的なもの、特に快楽をもって我々を魅惑するもの、苦痛をもって我々を怖れしむるもの、虚栄心の喝采を受けるものなどは、どんなものなのであろう。なんとそれはやすっぽく、いやしく、きたなく、腐敗しやすく、死んでいることであろう。これは我々の知能で理解の出来ることだ。その意見やお声がかりが名声を(与える)ところの人人はそもそも何者であるか。死ぬということはなんであるか。もし我々が死それ自体をながめ、理性の分析によって死からその空想的要素を取り去るならば、それは自然のわざ以外の何者でもないと考えざるをえないであろう。自然のわざを恐れる者があるならば、それは子供じみている。しかも死は単に自然のわざであるのみならず、自然にとって有益なことでもあるのだ。
いかにして人間は神に接触するか。人間のどんな部分によって、また人間のその部分がどんな具合になって接触するのか。
27
十六 人間の魂が自己をもっとも損なうのは、自分にできる範囲において宇宙の脳瘍や腫瘍のようなものになる場合である。なぜならば何事が起っても、そのことにたいして腹を立てるのは自然にたいする離反であって、他のあらゆるものの自然はその自然の一部に包括されているのである。つぎに人間の魂が自己を損なう例としては、ある人間にたいして嫌悪の念をいだいたり、または怒っている人びとの場合のように相手を傷つけるために、はむかって行く場合がある。第三に、人間の魂が自己を損うのは快楽または苦痛に打ち負かされた場合。第四に、仮面をかぶって不正直に、不真実に、行動したり話したりする場合。第五に、自分の行動や衝動をなんら一定の目的に向けず、でたらめに、関連なしに、なんでもおかまいなく力をそそぐ場合。ところがもっとも小さなことでさえも、目的との関連においておこなわるべきなのである。-/-
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四 公益を目的とするのでないかぎり、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。なぜならばそうすることによって君は他の仕事をする機会を失うのだ。すなわち、だれそれはなにをしているだろう、とか、なぜとか、なにをして、なにを考え、なにを企んでいるのかとか、こんなことがみな君を呆然とさせ、自己のうちなる指導理性を注意深く見守る妨げとなるのだ。
したがって我々は思想の連鎖においてでたらめなことやむなしいことを避けなければならない。またそれにもましておせっかいや意地の悪いことはことごとく避けなくてはならない。-/-
34
五 何かするときいやいやながらするな、利己的な気持からするな、無思慮にするな、心にさからってするな。君の考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計な言葉やおこないをつつしめ。-/-
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