人はなんで生きるか
他四篇
書誌
| text | 唯野 |
| author | トルストイ |
| editor | 中村白葉(訳) |
| publisher | 岩波文庫 |
| year | 1965 |
| price | 360 |
| isbn | 0-326191-7 |
履歴
| 2002.12.26 | 読了 |
| 2003.1.2 | 公開 |
| 2003.1.24 | 修正 |
感想
トルストイ晩年の作品集。解説にもあるように晩年のトルストイは宗教的、道徳的側面を強めるが、本作の作品も皆キリスト教的愛を前面に押し出した作品が並んでいる。『イワンのばか』に比べてみても(といっても、こちらは既に読んだのがかなり昔なので単純に比較できないが)、教訓的というか、キリスト教の神に対する絶対的信仰という傾向のあるのがよく分かる。その意味で寓話とというよりは善意の文学といっていいだろう。そして、それが最も分かりやすく表現されているのも表題作だと思う。個人的には聖地を訪れずして善行を施した男の姿が聖地に見出されたという「二老人」などは含蓄があるなという感じだった。ただ、私はそれほどキリスト教に造詣があるわけでもないし、読んでありがたがるとかいうわけでもなかったので、著者の真意をどの程度汲み取れたのかと考えると甚だ疑問である。
ちょうど一緒に読書ノート化していた寺山修司の 『四角いジャングル』 に以下のような箇所があったので引用しておく。これを私の主張とまでいってしまうのは不遜かもしれないが...
セックスというのを生殖の手段だけだと考えて、性道徳を赤ちゃんを作るための方法から割り出してきたキリスト教の性道徳の歴史に一括してしまうことがだいたい問題なんです。トルストイのような理想主義者は、そういうピュリタニズムを担いだのです。つまり生殖を前提としない性生活というのは、不貞であり、猥褻であり、非常にいかがわしいものであるとね。(p.187)
抄録
46
-/-神さまがおっしゃるには――『行け、そしてその母親から魂を取れ、そしたら三つの言葉がわかるだろう――人間の中にあるものは何か、人間に与えられていないものは何か、人間はなんで生きるか、この三つのことがわかるだろう。そしてそれがわかったら、天へもどってくるがいい』-/-
49/50/52
「その時わたしは神さまの第一のお言葉――『人間の中にあるもののなんであるかを知るだろう』とおっしゃったお言葉を思い出しました。そして、人間の中にあるものは愛であるということを悟りました。-/-
「人間の中にあるもののなんであるかを、わたしはもう知っていました。今またわたしは、人間に与えられていないもののなんであるかを知りました。人間には、自分の肉体のためになくてならぬものを知ることが、与えられていないのです。-/-
「わたしは、すべてのひとは自分のことを考える心だけでなく、愛によって生きているのだということを知りました。
53
「今こそわたしは、ひとが自分で自分のことを考える心づかいによって生きているように思うのは、それはただ人間がそう思うだけにすぎなくて、じっさいはただ、愛の力だけによって生きているのだということが、わかりました。愛によって生きているものは、神さまの中に生きているもので、つまり神さまは、そのひとの中にいらっしゃるのです。なぜなら、神さまは愛なのですから」
69
-/-おまえは腹立ちのために目がくらんどるだからの。人の罪は目の前だから見えるが、自分の罪は背中だから見えねえのだ。おまえは今、あの男がわるいことをしたと言った ! もしあの男ひとりがわるいことをしたのなら、喧嘩の起こるわけがねえ。いったい人間同士の喧嘩が、片方だけから起こるものだろか ? 喧嘩はふたりのあいだのものにきまってるだ。おまえにゃ、あの男のわるいところは見えるが、自分のわるいところは見えねえのだ。もしあの男ひとりがわるくて、おまえがええのなら、喧嘩の起こりっこはねえだろ。-/- cf.85/123
92
「どうしたら神さまのために生きられるかということは、キリストさまがちゃんと教えておいて下されてるよ。おまえは本が読めるだろ ? 読めたら、福音書を買って読んで見なさい、そこにちゃんと、神さまのために生きるには、どうすればええか、それが書いてあるから。そこには、何事によらずみんな書いてあるよ」cf.91
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