メルヒェン集
書誌
| text | 唯野 |
| author | ミヒャエル・エンデ |
| editor | 池内紀,虎頭惠美子,佐藤真理子,樋口純明,矢口澄子(訳) |
| publisher | 岩波書店 |
| year | 1998 |
| price | 2,800 |
| isbn | 0-092054-5 |
履歴
| 2000.9.9 | 読了 |
| 2000.9.11 | 公開 |
| 2001.4.14 | 修正 |
感想
表題の通りメルヘンチックなお話でまとめられた同全集の一冊。そんなわけで全体を通しても「ひらがな率」の高い本となっている :-) しかしながら、ひらがなの多寡と作品のおもしろさが全く別の問題であるように、そして一読すれば分かることだが本書が抜群におもしろい内容であるのは、共に論を待たないところである。さて、読後の感想であるが、最もおもしろかったのは冒頭の「正しくいうと――序文にかえて」で、他では持ち主のいない影を連れて歩く「オフェリアと影の一座」がよかった。(後者は特に終わりがすばらしいと思う。)一方、「サンタ・クルスへの長い旅」は夢見がちな少年の心を見事に描いているし(想像力のない子供などいないのだから)、エンデらしいともいえる物事の対称性にこだわったといえる「魔法のスープ」、童話的にも完成度の高い「レンヒェンのひみつ」や子供のおもちゃを巡る話など多彩な物語が目白押しとなっている。
解説で池内紀が触れているように、エンデの名前が「ende : 終」というのは、確かに興味深いことかもしれない。(ende が『はてしない物語』を書いたというこだわりなど。)単なるこだわり以上の物語の要素として、そういった「始まりが終わりで、終わりが始まり」というような部分が、確かに大きな比重を持っているように私も思うからである。
抄録
2/7/9 「正しくいうと――序文にかえて」
わたしの家族には、いちばん年をとったのからいちばんわかいのまで、みんなにおなじ、ちょっとした欠点があります。欠点というのは、「本を読むこと」です。家族のだれもがいったん本を読みはじめたらさいご、いそいでかたづけなければならないことや、それいじょうのばせない用があっても、もう、すこしの間でも本をわきへおくことができなくなってしまうのです。いえいえ、いそいでかたづけなければならないことや、それいじょうのばせない用などを、やらないというわけではけっしてありません。ただ、そのために本を読むのをやめなくてもいいんじゃないかと、思うわけなのです。あることをやりながら、もうひとつのこともやるということだって、できないわけではありませんからね。-/-
これが家族全員分の失敗談につながっていき、そして...
うちのネコの仕事は、たいていのネコとおなじように、ネズミをつかまえることです。ネコの仕事といったらこれっきりなので、うちのネコはよくなん時間もたとえば部屋の左すみの洋服だんすの奥にあるネズミ穴の前で、ネズミがでてくるのをまっています。もちろん、このネコも前足で小さい本をおさえています。だって、ながいあいだじっとネズミをまちかまえているときに、本を読むよりもっといいことがあるでしょうか。(さて、ネコに字が読めるということを信じるひとは、話もできるということを、ふしぎには思わないはずだね。)そういうわけで、ネコは、さっきもいったように、ネズミ穴の前にすわっています。でも、正しくいうと、ネズミ穴の前ではないのです。ネコが本を読んでいるあいだに、ネズミたちがネコの体をぐるっとまわしておしていったので、いますわっているのはじつはコンセントの前なのです。しばらくしてから、ネコは前足を穴につっこんでんみました。ところが、それはコンセントだったので、電流がビリッとはしって、しっぽのさきから火花がとびちりました。ネコはとびあがって、さけびます。
「ウヒャー ! この本は、しびれるほどおもしろいニャー。」
そうして更にアマガエルなども本を読んでいて、終わりは...
わたしじしんとこの家族と、いったいどんな関係があるかって、おたずねですか。ほんとうのことをいうと、わたしじしんにもよくわからないのです。正しくいうと、わたしはこの家族のことをぜんぜん知りませんし、正直にいって、こんな家族がどこかにいるとはとても思えません。では、いまここに書いた話がどうしてこんなふうになってしまったかというと、きっとわたしが書きながら、本を一冊まえにおいて読んでいるからにちがいありません。
さて、わたしはきみたちにも本をまえにおいて読んでごらんとすすめたいところですが、正しくいうと、きみたちはもうこの本を読んでいるわけですね。そうでないと、ここに書いたことを読んでないわけですから。それじゃ、だまってわたしに続きを読ませてください。
と、極めてエンデらしい「終わりの始まり」となる。
17-18 「魔法の学校」
「それが『望む力』なんだ。魔法をかけようとするものは、自分のなかにある『望む力』をよく知って、つかうことができなければならない。しかし、そのまえに、自分のほんとうの望みを知って、それをじょうずに生かすことをならうんだ。」
先生はすこし休んでから、また話をつづけました。
「ほんとうは、自分の望みを自分がかくさず、ありのままに知るだけでもいいんだ。ほかのことは、ぜんぶひとりでにうまくいくものなんだから。とはいっても、自分のほんとうの望みがいったいなんなのか、みつけだすだけでも、なかなかむずかしんだがね。」
22-23 「魔法の学校」
「さてと、きみたちにいよいよさいしょの、そしていちばんだいじな『望む力』の規則をおしえよう。」
先生はたちあがって、黒板にこう書きました。
1 ほんとうに望むことができるのは、
できると思うことだけ。2 できると思うことは、
自分のお話にあうことだけ。3 自分のお話にあっているのは、
ほんとうに望んでいることだけ。
31 「魔法の学校」
「ちゃんとしたことができない、不正直な人間だけが、ほんとうに必要でないものまで自分のものにしてしまい、そのおかげで、世界はめちゃめちゃになってしまうんだよ」と、先生はなんどもくりかえしおしえました。
87 「レンヒェンのひみつ」
「もうこんな時間かしら ?」とレンヒェンがたずねた。
「ま夜中だね」と魔女がこたえた。「ここでは、いつもま夜中さ。ほかの時間はない。」そういえば時計の数字は、みんな 12。
「こうでなくちゃあ」と魔女がいった。「魔法はま夜中でないときかない。むかしから、そういうことになっている。わかるかな。」
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