ホーム > 読んだ > 国外

モロー博士の島
他九篇

書誌

text唯野
authorH・G・ウェルズ
editor橋本槇矩,鈴木万里(訳)
publisher岩波文庫
year1993
price620
isbn0-322763-8

目次

1感想
2抄録

履歴

2000.12.9読了
2001.1.2公開
2002.10.6修正

感想

岩波文庫でウェルズが読めるご時世なのだからありがたいこと(?)である。既に同文庫には『タイムマシン』と『透明人間』が訳出されており、いずれもおもしろい。しかし、私が驚かされたのは、例えば透明人間が無政府主義者だったりする設定の辺りで、「透明人間」という奇想天外さに「無政府主義」というリアルさの組み合わせ方に対してだった。恐らく刊行当初にそういう読まれ方はされなかったのだろうが、私などはそういう部分で逆に新鮮味を感じてしまう。時間を経ても新たな魅力を放ち続けている点において、著者の本は文字通り古典であろう。

かくいう本書には動物の人間化に取り組んだ末の悲劇を扱う表題作を始め、蘇った恐竜だとか、未来の新聞などの話が収められている。私としては、老人と青年とが精神と肉体を交換する「故エルヴィシャム氏の物語」がおもしろかった。(この手の話も元ネタはウェルズだったわけだ...)また、この話に限らず各話とも終り方で機転の利いているというのは注目すべき点であるように思う。

抄録

39

そして今やハプレーは他の誰も目にすることのできない蛾に悩まされながら、壁にクッションを張った精神病患者用の保護室で余生を送っている。精神病院の医者は、妄想と呼んでいるが、ハプレーは平静な気分で話ができる時には、あれはポーキンズの亡霊であり、だからこそ苦労して捕まえるに値する珍種だと説明するのであった。(「蛾」より)

61

この愚かな小男を逆上させて決定的な行動をとらせ、その結果、彼の人生を一変させてくれたことに対して、紫色のキノコが受けた感謝とは、結局この程度のものだったのである。(「紫色のキノコ」より)

142

-/-しかし青年は相続しなかった。エルヴィシャムが自殺したとき、奇妙なことに、イーデンはすでに死んでいたのである。エルヴィシャムの自殺より二十四時間前に彼は辻馬車に轢かれ、即死したのである。-/-

エドワード・ジョージ・イーデン 青年 -> 老人
エグバート・エルヴィシャム 老人 -> 青年

296-297

哀れな動物たち ! モロー博士の残虐さを私は思った。彼の手から離れた後の彼らの苦痛と悩みを私は初めて思いやった。手術の苦痛などたいしたことではない。獣だった頃は自然に環境に適合してそれなりに幸せな暮らしをしていたはずである。それがいまはどうだろう。人間性などという空しい拘束を受けて、理解もできない法に縛られている。彼らの擬似人間生活は苦しみに始まり、永い内面の葛藤、モロー博士への恐怖に終始するのだ。何のために ? 気紛れのためか ?

330-331

そのために私は広々とした牧草地が広がる郊外に住んでいる。暗雲が心に垂れ籠めると私はそこに逃げ出す。風の渡る空の下の誰もいない牧草地ほど心なごむものはない。ロンドンでは恐怖心が堪えがたくなるほど強かった。人々に取り囲まれ、窓からは話し声が聞こえ、鍵のあるドアも安心できなかった。私は自分の幻覚と戦うために町に出た。すると女たちが猫のように擦り寄ってくる。物欲しそうな男たちが嫉妬深い目で私を見る。青白い疲れた労働者は傷ついた鹿のように咳をしながらとおり過ぎる。腰のまがった老人はなにか独り言を呟いている。悪たれをつく子供たちが後をついてきてもだれも見向きもしない。脇に逸れて教会に入ってみると、牧師の巫山戯(ふざけ)た説教はあの猿男(モローの作った獣人間のひとり:唯野注)の言葉と大差なく聞こえる。図書館にいっても熱心に本を読んでいる人々の顔は執拗に獲物を待ち受ける獣の顔のように見えるのだ。とりわけむかつくのは汽車やバスの中の無表情な人々の顔である。私はそれらの顔は死人の顔のように見える。だからひとりでいられるとき以外は旅行しない。このように言う私自身も理性的生物というわけではない。脳に障害のある動物にすぎない。だから旋回病の羊のようにひとりで彷徨っているのだ。

全文を読まれる場合はログインしてください


Up