愛をめぐる随想
書誌
| text | 唯野 |
| author | ジャック・シャルドンヌ |
| editor | 神西清(訳) |
| publisher | 新潮文庫 |
| year | 1953 |
| price | 440 |
| isbn | 10-201201-X |
履歴
| 2002.9.1 | 読了 |
| 2002.11.4 | 公開 |
| 2002.11.11 | 修正 |
感想
実をいうと私は箴言集・格言集の類の本が好きである。多分、私の記憶が正しければ、私が自腹を切って買った最初の本は新潮文庫の『ゲーテ格言集』だったし、岩波文庫へのかけはしのひとつとして同文庫にある名言集の存在は無視できなかったように思う。しかしながら、つまるところ正直にいってしまえば、それも手軽にどこからでも読め、その割には得した気分になれそうだという、貧乏性的性格の結果という気がしないでもない。それでも、一方で実際にそこから触発されたり、実際の古典を手に取ったりする契機になったことも事実であるから、これはこれでよしとすべきなのであろう。
前置きが長くなったが、そんなわけで柄にもなくこんな本を読んだのも、そういう箴言好きの結果である。著者はフランスの作家で、その作品からの抜粋を集めた本となっている。まあ、一読しての感想をいうと少々きれいすぎるというか、抽象的に過ぎるというか、悪くいえば古いというところなのだが、やはり私の趣向とはずれがあったという感じだった。ビアスやラ・ロシュフコーの方をおもしろく感じてしまう人間にとっては不謹慎の謗りを免れ得ないところかもしれないが...
抄録
9 序文より
この非公式主義、この叛逆こそ、わたしがさきに挙げた大家たちの場合と同様、現世への非順応の一形式なのである。そしてこの非順応ということは、一つの特権である。苦痛には違いないなかで、居心地の悪さを感じているのでなくてはいけない。であってこそ初めて、あらゆる先入主から遠くはなれて、真理というものの念入りな研究も、あるいはその探求も、生まれ出るというものである。
11 序文より
心の支えになるものを片っ端から拒んでゆく以上、おそらく絶望に導かれるのが落ちであろう。けれどそこには、われわれを慰めるもの、われわれをして人生を愛させるものとして、神聖なものの発露がある。人間の惨めさを超えたところにある愛、人間が無償でみずからに課する友情や、夢や、苦痛がそれである。そしてこれら一切は相寄り相あつまって、美という救いに帰向する。シャルドンヌはもうそれより先へはわざわざ聖霊を出迎えに行きはしない。彼は他界(あのよ)の呼びごえを耳にしないのである。ヴィニーと同じく、彼は沈黙にこたえるに沈黙を以てするのだ。
22-23
愛し合うべく運命付けられた二人が行き交う、などということは、とても信じられない。そんな実例は滅多になく、したがってそんな話は御免を蒙った方がいいだろう。ところが社会で行われることはどれもこれも、まるで例外の方を却って常道と見ているようなもので、結婚の前提をなすものもやはり愛し愛されること、そして永く変ることなき愛なのである。つまり一切は、世にも妙なる例外をめあてに、組み立てられているのだ。
25
情熱はあどけないものである。それは隔たりや、幻影や、障碍(しょうがい)を必要とする。烈しい愛の色々な表現、――犯罪だの自殺だの、飽くことを知らぬ嫉妬だの、虐待だの忿怒だのといったものは、人それぞれの気質から来るもので、心とは大して関係がない。愛のほんとうの徴候(しるし)は、血のなかにある色々な悪徳とは無関係なもので、よもやそんな感情が隠れていようとは思えぬほどに、実に控え目なものである。奥ぶかいもの、美しいもの、あるいは真のものは、みんなそうしたものである。それは殆ど目につかない。
27
夫婦水いらずの楽しみというものは、ほんのつまらぬものから出来あがっている。情のこもった語らい、一本の樹の美しさ、やさしい眼ざし、など。私たちが繊細(こまやか)なこころを持たぬかぎり、幾ぶん克己家(ストイーク)でないかぎり、また、これほどのつつましやかな物ごと、ほんの家常茶飯事が、自分にとって言うに言われぬ味があり、生活の核心であると感じることに誇りを持たないかぎり、そうした静かな楽しみは、味わうすべもないのである。
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