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パソコンを疑う

岩谷宏 講談社現代新書/1997/\640 6-149367-1

読感

著者はCマガやSD誌にも連載を持っている人であるから、ご存知の方も多いと思われる。本書はひとことでいってしまえば、オープンソース礼賛の書である。だから、それなりのコンピュータ歴をお持の方であれば、そういう意味での新鮮味はあまりないといえなくもない。内容の多くは初心者向けのOS機能解説に当てられており、そこから本来のコンピュータにとってのソフトウェアに求められるべき姿というものが説かれている。

それで私自身としては、大意は納得できるものの、別に今のコンピュータでもいい部分はいい部分としてあるのではないか...と感じているので、OSが悪名高きビルGのWindowsであろうとも、ユーザがそれを使ってそのユーザなりの望む結果を得られてさえいるのであれば、それはそれでいいのではないか――と考えている。むろん、私はPCがあくまでもユーザ本位のものであるべきだという点であるとか、PCが今後も様々な方向に(PC以外のかたちも含め)進化していくであろう点などでは大いに同感であり異論はない。

しかしながら、ここで私はまさしくPCがユーザにとっての道具に過ぎないのであれば、これを突き詰めて考えたときには、その時点では最終的にOSが何であるのかさえも重要ではなくなってくるように考える。本書でも指摘されているように最も重要なのは「何のために使うのか」というユーザの目的意識なのであって、そういう目的意識という観点を第一にするのであれば「Windowsは悪くLinuxは良い」とばかりを一概にいうこと自体ができないと思うからだ。両者には得手不得手があり、商用/非商用の違いにもそれは存在する。だとすれば、我々が本当に身に付けるべきは、そういう実装の良し悪しをも超えて自らの目的意識から手段(としてのPCなりOS)を選択していくことのできる能力というべきではないだろうか。というのも、筆者の論理はそれが現実にマイナス面を持っていたとしても、それ自体が「先にWindows批判ありき」という意味ではWindowsに依拠してしまっているというか、オープンソースという目的から見た論点先取、善悪二元論に見えてしまうからである。

仮に将来、オープンソース運動が大きなムーブメントとなり、LinuxがWindowsに取って替わるということがあったとしても、Linuxが主流だからという理由でOSを選択しているのでは意味がない。それでは、Linuxも第二のWindowsにしかなりえないように思う。個人的には、Linuxの商用利用が脚光を浴びる中にあって、オープンソースとしてのLinuxが、将来にわたっても、それ以外のソフトウェアに対する批判勢力・対抗勢力として力を持ち続けること方のが重要なのではないかと思う。

抄録

14/74/144-145

「パソコンが簡単」という売り文句は嘘で、パソコンの難しいはソフトの扱いが難しいということ。

ユーザの多様性をブラックボックスによって覆い隠しているのが現在のコンピュータであり、それに対する方便が「パソコンは難しい」である。車もコンピュータに比較すれば単一機能品である。

16/18

ソフトウェアこそは(ハードウェアと違って)個々のユーザのニーズに基づいて作られなければならない。

他人の作ったソフトウェアに合わせてコンピュータを操るのは間違っている。そして、情報処理技術者の多くは、そういったニーズを関知しようとしない。

21/29

プロのプログラマとは淘汰されるべき存在。

今後は、専門のコーダ(コーディングだけをする人)が主流となるべきである。

――しかしながら、コンピュータの専門分化とニーズの多様性という溝は埋まるのだろうか ? (唯野)

35/43/51

高性能化と高速化は違うことである。必要以上の後者を売り物にすることで商売をしている現在の業界。

――これは同感。PenIIマシンなどでなくともPentiumクラスのマシンで十分に一通りのPCとしての用途は満足できる。(唯野)

59/71/81

Windowsの持つブラックボックスな点への批判。ソフトウェアが持つバグへの耐久力に絡めた指摘。

77-79

上の問題点を解決するためには、ユーザプログラミング(ユーザ本人のニーズに合わせたプログラムの作成)/情報開示(オープンソース)/プログラミングをめぐるコミュニケーション(これらを満たすためのもの、具体的にはインターネット?)の3点が必須である。

84

ソフトウェアのデータに垣根があるべきではない。ファイルタイプという概念への批判。

――これも同感ではあるが、別に今でも(HTMLやCSVを含めた)テキストファイルとエディタさえあれば、それである程度は実現できると私は思う。(唯野)

107-110/115-116/118-119/126

OSに関しての箇所。オペレーティング・システムとはきわめて抽象的なものを扱うためのソフトウェアであるということ。(本書ではOSをBIOSとアプリの間に存在するものという位置付けをしている。)118-119はシェルとマルチユーザという観点から見たUNIXの優位性という視点。

128-131

オフコン -> ミニコン -> ワークステーション -> パソコン というコンピュータの歴史(ダウンサイジング ?:唯野注)の結果は、必然的に個々のユーザに従来の管理者(アドミン)クラスの能力を求めるようになってきている。従って、個々のPCのOSにおいても堅牢性や高度なネットワークの処理能力といったものが重要な要素として求めらなければならない。そして、それは情報の開示に伴うオープン性によってこそ獲得される。

――その通りだと思う。(唯野)

140

パソコン(パーソナルコンピュータ)、すなわちパーソナルなコンピュータとしてのユーザの参加できる環境ということ。

――同じように以前から考えているが、私は冒頭でも述べているように、PCがパーソナルな道具であればこそ、善悪意識よりも目的意識の方が先にないといけないように思う。(唯野)

152/157-159/165

GUIとアイコン批判の箇所。実態は少しも分かりやすくないという主張。図像化されることによってかえって表現する内容はせばめられるということ。

そして、それを押し進めること自体がバグでしかないという指摘。

174/180/184

ネットワーク世界が必然的に作り出す「仮想的なサブネットワーク」という世界。即ち、特定の利益者を出さない対等の対話を実現するためのネットワーク。そして、そういうネットワークが持つ利便性への対価としての個人の責任やボランティア的精神という部分。

――ネットの理想像をこういう部分に置くという点では個人的にも同じように思う。(唯野)

177/186/190

WWWも(著者のめざすネットワーク世界に比すれば)現在の形態ではかなりに受動的なメディアであり、能動性に欠けている。また、それに付随した問題としてのプロバイダ批判。つまりは、まだまだインターネットは発展途上なメディアであるということ。

190

こういったネットワーク世界を作っていくための権威主義(既存主義)の打破ということ。ユーザにとっての「覗く/見物する/利用する...」からの飛躍。

198/201/207

PCを取り巻く良質なドキュメントの重要性。その究極なかたちとしてのソースコードの開示。Linuxのカーネルも良質のコメントに恵まれているとは決していえない。

211-212

自分のためのコンピュータという視点の重要性について。

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