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オトキン 校歌斉唱 A (前編) |
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おはようございます。日曜の朝、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
開明放送ラジオ「わたしのミュージックライフ」のお時間がやって参りました。
この番組では、これまで第一線で活躍されてきた音楽家の皆さんを毎週ゲストにお招きし、作品を紹介すると共に、その音楽人生を振り返ってお話をお伺いしております。
今週は、これまで全国の小・中・高等学校の校歌の作詞・作曲を数多く手がけられてきた、小岡公平先生をお迎えしております。先生、今日はよろしくお願い致します。
小岡先生は、大学のジャズ研究会でジャズピアノを始められました。卒業後は単身渡米し、バークリー音楽院作詞科に入学。優秀な成績を修めて帰国したわけですね。その後日本国内でジャズピアニストとして活躍されていました。
「いやいや、活躍なんてとんでもない。バークリーを出ても、仕事なんてそうそうあるわけじゃないですしね。収入は少ないし、当時は生活的に非常に困窮しておりました」
若いころは苦労されたという音楽家の方は多いですよね。
「そうなんです。特に私の場合、ジャズというマイナーな分野ですしね。随分荒れた生活をしておったですよ」
荒れた生活、とおっしゃいますと ?
「たとえば酒なんか飲みすぎて身体を悪くしたりね。それでいろいろクスリなんかも試したりするうちにその関係でまちょっと警察のご厄介になったりですね」
え、それはちょっと違うクスリなのでは…。
「結局、日本という国は、芸術家にとっては暮らしにくい国なんですよね。文化というものの価値を国が充分に理解していない」
あ、それはそうかもしれませんね。
「国が経済的な保障をもう少し考えてくれてもいいんじゃないですかね。私の場合も、女房が子供つれて実家帰っちゃうとか、家賃払えずに追い出されるとか、ペヤングソース焼きそば作ろうとして火傷するとかまあいろいろありましたし。政府は我々文化人をもっと大事にしてほしいですね」
文化人がペヤングとかベソベソ食わないで下さい。
そもそも、「校歌」をお作りになるようになったきっかけは何だったんですか ?
「荒んだ生活をしておった当時、三十代のころですか。大学の先輩の紹介で、京都に新しく設立される私立短期大学の校歌をぜひ作ってくれんか、という話がきまして」
なるほど、それが先生の最初に手がけた学校校歌ということになるわけですね。では、さっそくその作品を聴いてみましょう。先生もご一緒に、いいですか、”小岡公平の、ミュージック、ライフ !”

これは…ま、ちょっと変ですけど、意外にも、といっては失礼でしょうか、前衛的な作風が特徴とされる小岡先生の作品としては、比較的オーソドックスな作品ですね。
「校歌というものにはセオリーがありましてね。とりあえず学校のある土地の自然を称えて風物を適当に盛り込み、あとは青春とか夢とかそれっぽい言葉をばらまいておけば良いという」
なるほどなるほど。言われてみればそうですね確かに。
「今聴いたこの曲もそうですけど、私も初めのうちはそういうありがちな詩を書いていたんです」
そのうちありきたりな作品作りに飽き足らなくなり、次第に先生独自の世界が展開されるようになるわけですね。
「やはり私はジャズミュージシャンですからね。それまで誰もやったことのない新しいものを作り出そうとする姿勢、それがジャズの精神なのです」
ところで、先生は作品を作る前に必ずその学校のある土地へ足を運ばれると聞いていますが。
「もちろんです。まあ校歌の作者の中には、いっさい現地に足を踏み入れることないまま、ホイホイっとばかりに安易な作品を作ってしまう人もいるようですが、私からすれば考えられませんな」
これはまた手厳しい。
「その土地の自然に触れ、名所旧跡を訪ね、名産物に舌鼓を打ち、そして地元の人々と心の触れ合いを重ねる中から、詩というものはひとりでに湧き上がってくるものなんですよ」
なるほど。ご自分で実際に経験したことが、詩作に役立っているわけですね。まるで松尾芭蕉のようですね。
「ハハハ、よしてくださいよ。ま、もともと旅行は大好きですしね。全国いろんな所へ行きましたよ。どうせ費用は向こう持ち、いやそれはどうでもいいんですが」
それでは、そのようにして作られた次の作品、聴いてみましょう。先生もご一緒に、”小岡公平の、ミュージック、ライフ !”

えーと…ですね…。
「はいはい」
何というか、その…さすがに中学校の校歌でビールはまずいんじゃないですか。
「いやいやいやそれが全然まずくない。むしろ美味いんですよ。最近は地ビールもバカにできません。特に風呂上り」
そういう話をしてるんじゃなくて……。
「まあぶっちゃけて言うとね、そんなビール代はもちろんホテル代や旅費まで向こうに出させてるわけですし、悪口は言えませんよ。私なんか若いころ貧乏したせいかタダというコトバにはどうも弱くって。ハハハ」
さて、次の作品ですが、これは校歌ではなくて応援歌なんですね。
「そうです。この学校は伝統的に野球が強くて、甲子園にもよく出場しています」
ええ、私も知っています。有名校ですよね。なるほど、その野球の応援で歌う歌なんですね。
「私の好きな東映フライヤーズ、今の北海道日本ハムファイターズでもここの OB が活躍してます」
はあ、日本ハムファイターズって昔は東映のチームだったんですか。
「あ、知りませんか東映フライヤーズ。もっと昔は東急フライヤーズと言ったんですがね。当時は駒沢球場というのが本拠地でねえ。怪童尾崎に土橋、そして張本。巨人を追い出された水原監督が捲土重来を期してがんばってる姿に心打たれてねえ。いや懐かしいなあ、古きよき昭和三十年代。私今でも思うんですが、この当時の水原監督の選手育成法というのは」
あのちょっと、先生?これ別に野球の番組じゃないんで…。まあ要するにこの学校は、たいへんな野球の名門校である、と。
「そういうことです。ただ、その一方で地元では、いわゆる不良生徒が集まるバカ学校としても知られておるようでして。まあよくある話ではありますが。ハハハ」
せ、先生、今の発言はちょっと…。あ、あのーここはあの美しい名城、姫路城のある町ですよね。国宝の。
「ええ、その国宝の名城周辺でも、よくこの学校のバカ生徒がたむろしてはカツあげしてたり」
えと、ど、どのようなイメージを持って作られたんでしょう、この曲は。
「まあ不良の学校ですからね。場末の、あやしいクスリを裏で売り捌いていそうな酒場で、酒とクスリで脳ミソいかれちゃったような連中がケンカしてるような光景を R&B 調のリズムで表現」
あ、いやも、もう結構です。とにかく聴いてみましょう、”小岡公平の、ミュージック、ライフッ !”

…これは…間奏にセリフが入っているんですね。
「ええ、この部分は歴代の正副応援団長が担当することになってまして」
はあ、つまりソロパートということですか。
「そういうことです。四月になると校庭から応援練習の声が聞こえてくる。先生方はそれを職員室で聞きながら『今年の国宝級は迫力に欠けるのぉ』『県の重要文化財にもなれんの違うか』なんて批評してるそうです。ま、生徒がバカなら先生もバカ」
わ、わかりました。次いきましょう。
えー、次の曲ですが、これは私立の女子高校ですね。
「こちらはうって変わって大変な進学校です」
何でも、校歌の完成が開校に間に合わなかったとか。
「いや、コロッと忘れてたんですよ、依頼されてたのを。で、校歌がないまま開校、新学期が始まっちゃった」
忘れちゃいけませんよ、大事な仕事なんですから。
「でもね学校側もいけないんですよ、最初に言わなかったんですから、女子高だってことを。そんなもん忘れたって仕方ないでしょう」
仕方なくないですよ。えーさて、この時は製作にあたって、特別に生徒との懇親会を持ったそうですが。
「ええ、生徒が先にもう入学しちゃってるわけでね。まあその状況を逆手にとって、実際に生徒と交流してみてその体験を詩作に活かそうかということで」
実体験を大切にする小岡先生ならではの発想ですね。
「こちらから学校側に無理言ってお願いしたわけです。女子高ですし」
女子高ですし ?
「ところが、どんな生徒が来てくれるのかと楽しみに待っておったらこれがまあ高慢ちきな小娘どもが現れましてね」
先生、ラジオ、ラジオです。放送中ですよ。
「だって本当のことなんだから。高慢ちきというよりコーマンチキチキ、人のことをどっかのエロオヤジでも見るような目で見やがって」
あの、し、進学校なんですよね。成績優秀な生徒さんたちが参加したわけで。
「成績の方は全国模試でもトップクラスなんだそうですが、それを鼻にかけてるというか手ぐらい握ったって減るもんじゃねえだろ」
もう曲行きましょう、聴きましょう、ね。”小岡公平のミュージッ。
「何だ ? 勉強さえできればいいってのか ? だいたいあんな短いスカート履いといて何言ってんだ。誰だって触りたくなるに決まってん」

きょ、曲の途中ですが、ここでいったん CM です。
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