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オトギバ 生き残る男

<PART 1>

沖縄。

小さな山の上。

雲一つない空から照りつける日射し。

爽やかなそよ風に揺れる木々。

足元から立ち昇る草の匂い。

遠くに青く澄んだ海が見える。
 

昭和 20 年 6 月 21 日、午後 3 時。

沖縄・摩文仁の村。

響き渡る艦砲射撃の音。

村のあちらこちらから、黒煙が上がっている。

山の麓には、米軍の陣地。

太平洋戦争末期、沖縄本島は敵の手に落ちようとしていた。
 

村を見下ろす山の上で、大学生の矢的撫子は息を切らして座りこんでいた。

「ねえ、もう帰ろうよ」

撫子は、弟の富士夫に言った。

予備校生の富士夫は、デジカメで敵陣の様子を撮りながら答えた。

「ダメだよ。だってまだ一人も会ってないじゃん、日本兵に」
 

山の周囲はすっかり米軍に占領されていた。

米兵の目を盗んでさとうきび畑の中を駆けぬけ、二人はこの山の上まで逃げてきたのだった。

「第 32 軍沖縄守備隊の牛島司令官が玉砕したのが 6 月 23 日。つまり今から二日後だね」

「沖縄の日本軍は、もう全滅寸前なのね」

「今日 21 日には、ニミッツ提督なんかもう勝利宣言出してるしね。残った兵士がゲリラ的戦闘を続けてはいるけど、もはや掃討戦の段階に近い」

「て言うか、結局みんなこの辺りでやられちゃうんでしょ。あたし高校の修学旅行で見たもん、ひめゆりの塔とか」

撫子はポケットに入っていたガムを口に入れながら続けた。

「あんまよく覚えてないけど、何かすっごいカワイソーだったんだよ。とにかくみんな死んじゃうの、女の子とか。ガム食べる ?」

「うん食べる。まあ要するにこの時期は、兵士も民間人も入り混じって、それぞれ最後の突撃を敢行して玉砕したり、投降して捕虜になったりしてるってわけ」

遠くで機関砲の音が聞こえ、二人は思わず地面に伏せた。

「あーあ、何でこんなとこに来ちゃったのかなぁ…」

撫子は、ここに来る前、自宅でのことを思い出していた。
 

<PART2>

平成 17 年 6 月 21 日、午後 2 時。

東京都武蔵野市。

「ケータイって、どんどんいろんな機能が増えていくよね。カメラ付きなんて今じゃ当たり前だし」

「いや、でもこれは絶対仕様じゃないだろ。偶然だって。何でこんな機能がついてたんだろう」

富士夫が新しく買った携帯電話に、タイムマシン機能が付いていることを発見したのは一週間前のことだった。

日付と時刻、そして地域を指定すれば、その時代のその場所に瞬間移動できるのだ。

「うん、だからこれは私たち姉弟だけの秘密だよ。ね、今日はどの時代に行こうか」

「昨日みたいなくだらないとこはもうイヤだよ。何が来年の学園祭が見たい、だよ。別にそんなもんどうだっていいじゃねーか」

「でもびっくりしたなあ。だってこの私がミス東祥大に選ばれるんだよ。きっとヒップコミックスピリタスのミスキャンパス大集合ってグラビアとかにも載るんだ私。やーんどうしようー」

「そんなもの見るんだったらさ、来年オレがどの大学に合格してるか見に行こうよ。ちゃんと史学科に入れるかなぁ」

「そーゆーことは私が一人で見てきてあげるから、あんたは勉強してなさい。ほら、ケータイ貸してってば」

「何すんだ、オレのケータイだぞ !」

携帯を奪い合ってドタバタしていると、

「やかましいっ !」

と怒鳴り声がした。

二人の祖父、矢的武司が立っていた。
 

「撫子、大学は休講か ? 女子学生の就職は一層難しくなっておるそうだ。遊んどるヒマがあったら資格の一つも取ったらどうだ」

二人が小さい頃から、厳しくて怖いおじいちゃんだった。

「富士夫、お前は受験生だろう。好きな歴史は勉強しとるようだが、他の科目はどうなっとるんだ。ちゃんとやっとるのか ?」

正座して下を向く二人。

「今のこの平和な時代、努力さえすれば好きな学問をしたり好きな仕事に就いたりできるんだぞ。そういう時代に生まれた幸せというものを少しは考えてみろ」
 

説教が終わり、二人は二階に引き上げた。

「おじいちゃん、80 過ぎてるのに何であんなに元気なのかな」

「軍隊上がりだからね。鍛え方が違うんだろ」

「でもさあ、おじいちゃんってあんまり戦争の話しないよね。確か沖縄で地上戦に参加してたんでしょ」

「後ろめたいというか、恥ずかしいんじゃないの。だって捕虜になって米軍に命を助けてもらったんだろ」

「何でそれが恥ずかしいのよ」

富士夫は呆れ顔で答えた。

「当時は『生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ』って戦陣訓があったんだぜ。知らねーの ?」

「敵に捕まって捕虜になるくらいなら死んだ方がいい、ってこと ?」

「そう。最後は敵陣に斬り込んで見事玉砕。それでこそ立派な日本男児だとされていたわけ。ま、オレは今でもそういう生き方ってカッコいいと思ってるけどね」

「カッコいいかなあ。捕虜になっても生き延びた方がいいじゃん。そんなとこで死んだって無駄死に、犬死にだよ」

富士夫は姉を睨んで言った。

「犬死にとか言うな ! 日本兵はみんな、国を守るためにいつでも自分の命を捧げる覚悟を持って、戦いに臨んでいたんだぞ」

「そんなことないでしょ。みんなきっと、死にたくないよう、おうちに帰りたいようって思ってたはずよ。それに」

撫子は続けた。

「それにだいたい、あの戦争は日本の侵略戦争だったのよ。日本は悪い国だったのよ。高校の時、日本史の奥山先生とか言ってたもん」

「いーや、最近では、そういう自虐的な歴史観を否定して大東亜戦争を肯定的に捉えなおそうという動きも活発になっているんだぞ。『新しい歴史教科書をつくりまくる会』の活動とか」

二人は押し黙った。

ややあって、富士夫が言った。

「そうだ、携帯タイムマシンで戦争中の沖縄に行こう。死を目前にした日本兵に会って、インタビューしようぜ」

「えぇーっ !」

「『あなたは何のために死ぬんですか ?』って聞くんだ。きっと本音が聞けるよ。どっちの言うことが正しいか分かるだろ」

富士夫は携帯を開き、パスワードを入力して「時刻合わせ」モードにした。

「昭和 20 年、だから 1945 年。えーと 6 月 21 日、でいいか。沖縄ではまだ地上戦やってるはずだ。午後 2 時ゼロゼロ分、と」

「ち、ちょっと、ホントに ? やめようよ」

「場所は…確か沖縄戦の本にマブニとかいう地名が出てきたっけ」

富士夫は沖縄県糸満市摩文仁の市外局番を押し、躊躇する姉の手を握った。

プルルル、という発信音と共に、二人の身体は紫色の光に包まれ、部屋から消えた。
 

<PART3>

「…で、いきなり米軍陣地の目の前に出ちゃうんだもん。死ぬかと思ったわよ」

「見つかる前にすぐ逃げられたから良かっただろ」

昭和 20 年 6 月 21 日、午後 4 時。

沖縄・摩文仁の村。

風の吹く山の上で、二人の姉弟は村を見下ろしていた。

「あっ、見て。あそこからも煙が上がってる。ねえ富士夫、やっぱりもう帰ろうよ。怖いよ」

「ブー、却下。勇敢な日本兵に会うまでは帰らないぞ」

その時、二人の背後から、

「誰だ !」

と声がした。

驚いて振り返ると、そこに一人の日本兵が立っていた。
 

<PART4>

兵士は銃口を二人に向けていた。

二人は慌てて説明する。

「あ、怪しいものじゃないです ! と特に、アメリカ人とかじゃないです、ほホントに」

「そ、そう ! 僕たち日本人です。あなたと同じ。あなたの同胞です !」

兵士は構えていた銃を下ろした。

「逃げ遅れた民間人か」

ひとまずホッとした撫子が尋ねた。

「あなたは、ここで何をしているの ?」

「首里陥落の後、残存戦力が南部に撤退してはや一ヶ月。私の所属分隊はすでに玉砕してしまった。司令部からの指示ももう無い。とりあえずこの山の中で体力を回復させ、夜になったら山麓の敵陣に一人で突撃するつもりだ」

富士夫が嬉しそうに声を上げた。

「カッコいいー ! あのー、一緒に写真撮ってもらえません ? 僕、あなたのような愛国心に満ち溢れた兵隊さんにあこがれてたんです !」

戸惑う兵士の隣に並び、撫子に写真を撮らせる。

撫子はデジカメを弟に返しながら再び尋ねた。

「突撃って、死ぬってこと ? そんなことしたって意味ないんじゃないの ? この辺りはすっかり敵に制圧されてるんでしょ」

「それは分かっている」

兵士の戦闘服はあちこちボロボロに破れていた。

「この戦争、もはや日本の敗北は避けられない。少なくともこの沖縄戦は負け戦だ」

「やっぱそれは分かってるんだ。じゃあどうして突撃なんて ?」

撫子は、兵士が意外と若いのに気づいた。

恐らく自分たちとそれほど変わらないだろう。

兵士は言った。

「この戦いは聖戦だからだ」

「聖戦 ?」

「そうだ。日本は、大東亜の盟主として、アジアの諸国民を欧米の植民地支配から解放しようとした。その崇高な理想が列強諸国によって叩き潰されたのだ」

兵士は続けた。

「たとえ負けるにしても、最後の一兵まで戦い抜き、我々の信念が間違っていなかったことを証明するべきなのだ」

遠く見える海上を埋め尽くす米軍艦隊を睨みつけ、兵士は言った。

「それが、日本人の誇りを、日本の伝統を守ることに」

撫子は思わず遮った。

「違うわ。この時代の日本はアジアの国々を不当に侵略して迷惑をかけているの。世界の嫌われ者なのよ。確かそう」

大学に合格して以来、すっかり忘れてしまっていた歴史の知識を動員する。

「日本は正義の国なんかじゃない。あなたは間違った戦争指導者たちに騙されているのよ。あなたが死んだら、それは犬死にだわ」

「姉さん、いくらなんでも失礼だよ」

富士夫が会話に割り込んできた。

「すいませんねえうちの姉が。若者が国に命を捧げることの尊さが分かんないみたいで。いわゆる平和ボケってやつですね」

「私はこれから山麓に下りる。君たちは反対側に向かって山を越えるといい。民間人の避難壕があったはずだ」

「あなたも一緒に逃げようよ。死ぬとか言ってないで」

「いや、私は敵陣に向かう」

「私、あんな怖いところもう行きたくないよ」

「だから、君たちまで行く必要はない。玉砕するのは私だけで充分だ」

富士夫は大はしゃぎで兵士を褒めたたえる。

「いやーホントちょーカッコいいっす。お会いできてよかったっす。友達にメールしてうらやましがらせちゃお。…あれ ? あれれ ?」

ポケットを探っていた富士夫が、急に顔色を変えて撫子の顔を見た。

「どうしたの ?」

撫子は首を傾げた。

「ね、姉さん。やばい。やばすぎる」

「だからどうしたのよ」

富士夫はようやく答えた。

「ケ、ケータイ失くした」
 

<PART5>

「は ?」

「いや、だから。ケータイ失くしちゃった。ハハハハ。ハ」

撫子の顔色が真っ青になった。

「ち、ちょっと、ウソでしょ ? 失くしたってことは…私たち元の時代に帰れないってこと ?」

富士夫は慌てて首を降った。

「で、でも、失くした所はだいたい分かってるんだ。さっき逃げてくる時、オレ、木の根に足を取られて転んだじゃない。たぶんあそこで落としたんだと思うんだよね」

「えー、あれって結構敵陣の近くだったよ」

「ま、とにかくあそこまで戻ればさ、きっとその辺に転がってるよ。うん、大丈夫だいじょーぶ」

「じゃあこの兵隊さんと一緒に、また敵陣に向かって下りなきゃいけないの ? 信じらんない…ジョーダンでしょぉ ?」
 

三人は山を下り始めた。

「ねえ、兵隊さん。何度も言うけど玉砕なんてやめたら ?」

「そういうわけにはいかない」

兵士の言葉に、富士夫が同調する。

「ですよねえ。愛する国のために死ぬのは、男子のホンカイっす」

「でもね、どっちみち日本は負けるのよ。富士夫、あんたは知ってるはずでしょう ?」

「そういうことじゃないんだ。この兵隊さんの気持ちの問題だよ。ねえ ?」

「兵隊さん、あなただって、この戦争が負け戦だって分かってるんでしょう ? それなのに、どうして死のうとするの ?」

兵士は答えず、ただ黙々と歩みを進めた。

じりじりとした日射しに、汗がにじむ。

いつしか三人は山の中腹まで下りてきていた。

「…よし、この木陰で小休止だ」

兵士の指示で三人は腰を下ろした。

「私の場合…」

切り株に座った兵士が静かに話し始めた。

「戦友を裏切るわけにいかないんだ」
 

<PART6>

ちょうど 24 時間前。

敵陣に近い森の中。

兵士の所属する分隊は突撃を前に最後の覚悟を固めていた。

「約束だ。みんな、あの世で会おう。みんな一緒なら怖くないだろう」

分隊長が言った。

「これまでこんなオレについてきてくれてありがとう、礼を言う。隊長として、突撃の先頭にはオレが立つからな」

隊員たちは、涙をこらえていた。
 

分隊は突撃を敢行した。

天皇陛下万歳、と叫ぶ者もいた。

お母さん、とつぶやく者もいた。

言葉にならない声を上げる者もいた。

兵士たちは、次々と敵弾に倒れていった。
 

<PART7>

「…他の戦友たちは見事玉砕を果たしたというのに、恥ずかしながら私だけは草むらに倒れて気を失っていた」

撫子と富士夫は、黙って兵士の話を聞いていた。

「自分が死んでも、すぐ仲間が後に続いてきてくれると思うからみんな突撃したんだ。全員一緒だと約束したから、勇気を出して玉砕できたんだ。私ひとり生きながらえるわけにはいかん」

「オレ、あなたのことをずっと語り継ぎますよ。日本人として恥ずかしくない、立派な最期だったと」

富士夫が言った。

「ありがとう。では辞世の句を伝えてくれ。悠久の大儀と共に山にありて、草むすかばねとなりにけるかも。大日本帝国陸軍歩兵、矢的武司」
 

「…え ? 今、何て…」

撫子と富士夫は同時に尋ねた。

「だから、悠久の」

「それじゃなくてその後。あなたの名前は ?」

「東京都武蔵野町の矢的武司だ」

二人の姉弟は顔を見合わせた。

「じゃ、この人…おじいちゃん ?」
 

<PART8>

「何がおじいちゃんだ。私はまだ結婚もしていないんだぞ」

撫子と富士夫は、若き日の祖父・武司を無視して囁きあった。

「ねえねえ富士夫。ってことはさ、やっぱりこのまま突撃させちゃダメだよ…ね」

「う、うん…。えーと、つまり、おじいちゃんがここで死ぬと、その息子であるお父さんが生まれなかったことになって」

「で、当然私たちも生まれなかったことになって…消えちゃうもんね」

撫子は、武司に向かって言った。

「信じてもらえないかもしれないけど…私たち、60 年後の世界から来た、あなたの孫なんです」

武司はため息をついた。

「よほどひどい目にあったんだな。かわいそうに、頭がどうかしてしまったらしい」

「そうじゃなくて、私たちはタイムマシンで…あれ ?」

撫子は、武司の後ろに朽ちかけた小屋を見つけた。

「ねえ富士夫。あの小屋、見覚えない ?」

「あっ、覚えてる ! そうだ、さっきあの小屋の前で転んだんだ !」

「あんたのケータイ、きっとこの辺に落ちてるはずよ !」

二人は地面に這いつくばり、必死で携帯を探した。

「ダメだ。見つからないよ」

武司が尋ねた。

「君たちは、いったい何を探しているんだ ?」

「ケータイ…つっても分かんないだろうなあ。ま、いいです」

探し疲れた二人は腰を下ろしてため息をついた。

「私たち…もう帰れないのかなぁ…」

「いや、大丈夫だよ…きっと…見つかると、思う…けど…」

富士夫が力なく答えた。
 

撫子は、ポケットにウーロン茶が入っているのを思い出した。

「そうだ、おじいちゃん。のど渇いてるでしょう。半分くらいしかないけど、よかったらこれ飲んで」

「中国茶か ? ありがたい」

500ml のペットボトルを渡された武司は、一気に飲み干して言った。

「フーッ、うまい。日本は素晴らしい国だ。君のように優しい心を持った大和撫子がいる」

続けて、富士夫に向かって言う。

「そして、弟くんのように富士より高い誇りを持った若者がいる」

武司は、空を見上げた。

「私は君たちを守る。君たちを生んだこの国を守る。そのために、この命を捧げるのだ」

「捧げられちゃ困るんだけど…」

「分隊のみんな、もうすぐ私もそっちに行くぞ。待っててくれ」

撫子が尋ねた。

「でも、あなたの帰りを待ってる人は、この世にもいるんじゃないの ? 残してきた家族とかいないの ?」

「家族は…いない」

武司は答えた。

「もう、いない」
 

<PART9>

一年ほど前だった。

東京・武蔵野の自宅。

召集令状を前に、武司と両親は黙り込んでいた。

「父さん、僕は家族を、この町を、この国を守るために行くんだ。立派に戦ってくるから」

父は、何を言っていいか分からないようだった。

「ねえねえー。お兄ちゃん、兵隊さんになるんでしょ ? すごいすごうい」

無邪気にはしゃぐ幼い弟の隣で、母は声を殺して涙を流していた。
 

武蔵野の軍需工場を狙った最初の空爆が行われたのは、彼が沖縄に配属される直前だった。

近隣の一般家屋も巻添えをくって被災した。

郊外の連隊で演習を繰り返す武司のもとに、隣家の職人から届いた軍事郵便には、両親と弟の最期の様子が記されていた。

晴れ渡る青空の下で、武司は自分が全てを失ったことを知った。

沖縄へ向かう日が迫っていた。
 

<PART10>

山の麓まで下りてきた三人は、トーチカのような石造りの建造物を見つけた。

「これ、なぁに ? 倉庫かしら。でもそれにしては形がハデだし」

「これは、墓だ」

武司が答えた。

「この形は沖縄独特のものだ。前面の小さな入り口から内部に入れるようになっている」

「墓として考えるとやっぱりでかいなあ。これ、屋根にあたる部分が亀の甲羅みたいな形をしてるから亀甲墓っていうんですよね。沖縄戦では住民や兵士の避難壕としても使われたんだ」

富士夫が解説する。

「この中に隠れて夜が更けるのを待とう。敵の寝こみを襲うのだ」

薄暗い墓の内部に入り、三人は腰を下ろした。

武司が言った。

「私は家族の仇を討たねばならん。それに戦友を裏切るわけにもいかん。ましてこの戦争は正義のための戦いだ。私は、一人でも多くの敵を道連れにして玉砕する」

撫子が再び説得を試みる。

「でもね、おじいちゃん。投降して捕虜になれば、命は助かるのよ。米軍だって鬼じゃないんだから」

「いいや、奴らは鬼畜だ !」

武司が怒鳴った。

「投降したところですぐ殺されるに決まっている。私の家族だって空襲で虐殺されたんだぞ。戦闘員でもないのに !」

銃を握り締めて続ける。

「私は家族を守れなかった。その無念を少しでも晴らしたいのだ。弟くん、君なら分かってくれるだろう」

富士夫は決まり悪そうに答えた。

「いや、でも…やっぱり玉砕ってのはちょっと…考え直した方が…」

武司は驚いて言った。

「君、さっきと言ってることが全然違うじゃないか。どうしたんだ」

「ぼ、僕、まだ若いし…やりたいこともいっぱいあって…来年大学に入ったらナンパサークルで遊びまくるとか。いやそうじゃなくて」

「何を言っているのか全く分からん。それに若いというなら私だって年齢は君たちとほとんど変わらないんだぞ」

「そ、そうですよね。まだ若いんだから何もこんなとこで死ななくても…いいんじゃ、ないかと…すいません」

「さっきは若者が国に命を捧げるのは尊いことだと言ってくれたじゃないか」

「いや確かに言いましたけど…でも、あの…」
 

<PART11>

その時、暗闇に目が慣れてきた撫子が、墓の奥に何かを見つけた。

「…あれ ? そこに、誰かいるよ」

武司と富士夫は撫子の指す方向を見た。

「人が倒れてる ! 助けなくちゃ」

三人はいっせいに近づいた。

「あっ、これは…」

小さな男の子の死体だった。

「うわーっ !」

二人の姉弟は同時に叫んだ。

武司が言った。

「そこにはおばあさんが倒れている。女の子と一緒だ。こっちにも…」

母親らしい女性が、かみそりを喉につきたてて死んでいた。

「どうやら、村を追われた家族が自分の家の墓に逃げ込んだようだ。もはやこれまでと見て自決したんだろう」

武司は静かに合掌した。

撫子と富士夫は奥歯をガタガタ言わせ、抱きあって震えていた。

「オレもーやだ ! 帰りたいようー !」

富士夫の泣き声を背に、家族の死体を一箇所に集めていた武司が言った。

「おや、この死体は日本兵だ。軍服を着ている。もしかすると、ここへ逃げ込んだ彼が自決を促したのかも知れない」

撫子が尋ねた。

「えっ ? 兵隊さんが自殺させたの ? どうして兵隊さんがそんなこと言うの ?」

「いや、彼らの場合どうなのかは分からないが…、ただ、軍では投降は認められていない。最後の最後まで戦わねばならない。投降するものはスパイと見なされる。それが軍の掟なのだ」

「だって、この子たちは民間人じゃない !」

「軍作業には民間人も動員された。だから彼らは軍の機密を知っている。捕虜になれば敵に情報が漏れる恐れがある。従って、彼らにも軍の規律が適用されたのだ」

「そんな…ひどいよ…」

撫子は子どもの死体を見つめて言った。

「この子たちが何をしたっていうの ? たまたまこの時代に、この島に生まれたってだけの話でしょう ?」

武司は、沈黙した。
 

<PART12>

「おじいちゃん、この戦争は正義の戦いだって言ったよね」

撫子は詰問口調になっていた。

「その結果がこれよ。正義なんていったいどこにあるの ?」

隣で姉の言葉を聞きながら富士夫は、そんなことを言ったら武司が怒り出すはずだと思った。

しかし、そうではなかった。

「世の中では…」

傍らに横たわる一家の死体を見やり、武司は静かに言った。

「世の中では毎日まいにち、いろいろなことが起こる」

暗闇に、武司の言葉だけが響く。

「軍の勇敢な進撃。兵士たちの悲惨な死。占領地の現地民と心を通わせた者もいれば、彼らを無残に虐殺した者もいるだろう」

武司が何の話をしようとしているのか、撫子と富士夫にはよく分からなかった。

「無数の事実の中からいくつかの事件を抽出して、後世の人間は物語を紡ぐ。それが、歴史と呼ばれるものだ」

冷静な口調のまま、武司は撫子に向かって言った。

「君の言った物語も、決して間違いではないだろう。日本の不当な侵略戦争、か。確かに事実をそのように解釈することも不可能ではない。しかし」

武司は決然として言った。

「しかし私が信じているのは、それとは全く逆の物語だ」
 

<PART13>

「日本は神の国だ。この戦いは聖戦だ、解放戦争だ。正義は日本にある」

たまらず撫子が口を挟む。

「そんなのいんちきだわ !」

「いんちきだって構わない」

撫子には全く分からなかった。

「どうして ? その物語が正しいとは限らないって、本当は分かってるんでしょう ? それなのにどうして、そんな軍が勝手に作ったいんちき話に乗せられてるの ?」

突然、それまで冷静に語っていた武司が大声で叫んだ。

「私は、これから死ぬんだぞ !」
 

「我々が国に騙されている ? 日本が侵略者だ ? そんな屁みたいな物語で命を捨てられるか !」

暗闇の中で、撫子の声がする方向を睨みつける。

「いいか、私は死ぬんだぞ。死なねばならないんだぞ今から !」

武司は一気にまくし立てた。

「何の意味もなく死ねるか ? 何の物語も背負わずに死ねるか ?」

その剣幕に、撫子も富士夫もすっかり気おされていた。

「いんちきだろうと何だろうと、全身で信じ抜くよりほかないんだ !」

武司は目をつむり、自分に言い聞かせるように言った。

「日本は正義の国、そして私は正義の戦士だ !」

撫子はようやく気づいた。

命を捨てるための物語。

避けられぬ運命としてすぐそこに迫る生命の終わり。

その時、家族への思いも戦友との約束も全て包み込み、自らの死に意味を与えてくれる唯一の物語が目の前に、あった。

武司はそれを選び取った。

自らの死に際して、どうしても必要な物語だったのだ。

ギリギリの極限状態でのこの選択を、誰が否定できるだろう。

武司は、再び静かな口調で続けた。

「…長い時間をかけて覚悟を決めたんだ」

声が震えていた。

「頼む、これ以上オレを惑わせないでくれ…」

撫子は何も言えなくなってしまった。

墓の中を、重苦しい沈黙が満たした。
 

「日も落ちてすっかり暗くなってしまったな。これが灯りになるかも知れない」

武司は、何か小さなものを戦闘服のポケットから取り出すとボタンを押した。

「昼間拾った機械だ。何に使うものかは分からないが、とりあえず灯りがつくことだけは確かだ」

その機械を見た富士夫は声を上げた。

「あっ ! それ…」

富士夫の携帯だった。
 

<PART14>

「山に登る途中で拾ったんだ。何だ、さっきから探していたのはこれだったのか」

武司は携帯を富士夫に渡した。

「何にせよ、まあとにかく見つかって良かった」

「ありがとう、おじいちゃん !」

撫子が歓声を上げた。

「おじいちゃんのお陰で帰れるわ。おじいちゃんが私たちを助けてくれたのよ !」

「だから、おじいちゃんはやめろと言ってるだろう」

その時、画面を確認した富士夫が言った。

「…やばい、バッテリーが切れそうだ」

電池のマークが点滅していた。

「なんか表示もおかしくなってる。落とした時の衝撃かも。すぐ元の時代に帰んなきゃ」

画面を覗き込んだ撫子が言う。

「でも、でも、おじいちゃんが投降するって約束してくれなきゃ帰れないよ。電話をかけてこの時代から消えた後、もう二度と元の時代に再生できないかも知れないんだよ」

「そんなこと言ってる場合じゃないって。ほら、何か変な音してる !」

言いながら富士夫はパスワードを入力していた。
 

撫子は武司の方に向き直った。

何としても武司の物語を書き換えなければならなかった。

命を捨てるための物語から、生き残るための物語へ。

しかし、日本史の授業で学んだ物語が、圧倒的な現実の前で全くの無力であることは既に明白だった。

だから、それとは別の物語を提示する必要があった。

今の自分が、もしそんなものを持っているとすれば。
 

撫子はゆっくりと話し始めた。

「さっきも言ったけど、私たちはあなたの孫なんです」

「… ?」

武司は怪訝そうな顔をした。

「だから、あなたが死んでしまうと、私たちもこの世界から消えてしまうんです」

撫子は言った。

「おじいちゃん、生き残って」

武司は叫んだ。

「いい加減にしろ ! だいたい、生き残るとはどういうことか分かってるのか ? 自分の家族も守れなかった私が、その上さらに戦友たちを裏切ることになるんだぞ」

生き残るための物語。

それは、醜く、身勝手だった。

(私たちのために)あなたには投降してほしい。

(私たちのために)あなたには生き残ってほしい。

私たちのために。

私たちのために。

「生き残れば、生涯自分を責め暮らすことになるだろう。私は、悔恨の念を抱いたまま醜く生きながらえるより、大儀に殉じて美しく散華する道を選ぶ。そう決めたんだ !」

富士夫は、震える手で携帯を時刻合わせモードにしている。

「…平和な時代に能天気に生きてる私たちに、こんなことを言う資格は無いのかもしれない」

撫子の目から涙が流れ出した。

「おじいちゃんの気持ちなんて十分の一も理解出来てないかもしれない。でも…」

私たちのために。

私たちのために。

自分には結局それしかない。

しかしもう綺麗ごとを言っている場合ではなかった。

「…でも、ごめんなさい、私たち、やっぱり消えたくない」

富士夫が携帯の時刻を 60 年後に合わせる。

「お願い。投降して」

「私に、戦友を裏切れと言うのか」

「裏切って !」

「家族の仇を討つのをあきらめろと言うのか」

「あきらめて !」

「それは…卑怯者のすることだ」

「なって ! 卑怯者になって !」

勝手な言い分だと自分でも思った。

「そうよ、私たちのために、卑怯者になってほしいの !」

「そんな…」

涙が止まらなかった。

「姉さん、こっちへ !」

東京の市外局番を打ち込みながら、富士夫は撫子の手を握る。

撫子は泣きながら続けた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。でも、あなたの命はあなただけのものじゃないの」

富士夫が言った。

「行くよ、姉さん !」

目をつむって発信ボタンを押す。

「おじいちゃん、私たちを守って…」

二人の身体が紫色の光に包まれた。

「き、君たち… !」

武司は、墓の中いっぱいに広がった光のまぶしさに思わず目を閉じた。
 

数秒の後、武司が恐る恐る目を開けると、そこにはただ暗闇があるだけだった。

何度呼びかけても、答えるものはなかった。

静寂が墓を包む。

暗闇に一人残された武司はしばらくの間、ただ呆然としていた。

それから膝を抱えて下を向き、いろいろなことを考えた。

本当に、いろいろなことを。
 

<PART15>

いつの間にか、朝になっていた。

「……私タチハ、捕虜ニハ乱暴シマセン…オトナシク武器ヲ捨テテ出テクレバ、命ハ保証シマス」

墓の外から、投降を呼びかける米兵の声が聞こえる。

「アト、1 分ダケ待チマス… 50 ビョウ… 40 ビョウ…」

武司は墓の中で、銃を手にしたまま、下を向いて考え続けていた。

思い上がった黄色いサルどもを懲らしめるために強大な戦力を伴って極東の島へやってきた米兵たちの声が聞こえてくる。

「……Fuckin’Japs……Suicide Kamikaze attack ? …Ha ! …Crazy yellow monkey…」

ここで命を捨てることに何の意味があるのか。

ここを生き残ることに何の意味があるのか。

武司は顔を上げ、墓の小さな入り口から差し込んでくる光を見つめた。

命を捨てるための物語。

生き残るための物語。

「30 ビョウ… 20 ビョウ…」
 

<PART16>

平成 17 年 6 月 21 日午後 2 時。

東京都武蔵野市。

紫色の光と共に撫子と富士夫の姿が現れた。

ゆっくりと目を開いた二人の前に、出発した時と寸分変わらぬ、元いた二階の部屋があった。

「再生した… ?」

「助かった… ?」

二人は顔を見合わせ、そして同時に言った。

「…おじいちゃんは ?」

ドタバタと階段を駆け下り、居間の障子を開けると、そこに祖父がいた。
 

「どうした ? バタバタと騒々しいぞ」

手にした新聞から目を離さずに答える祖父。

家族をあきらめ、戦友を裏切り、卑怯者として投降した元陸軍歩兵・矢的武司の、60年後の姿だった。

私たちのために。

私たちのために。

「おじいちゃん…」

二人は立ち尽くした。

あの後、おじいちゃんは自らの物語を書き換え、生き残ったのだ。

私たちのために。

私たちのために。
 

「…おじいちゃん」

「ん… ?」

作ろうとした笑顔が、涙で崩れた。

「お茶、淹れよっか」

縁側から、午後の暖かい日射しが差し込んでいた。
 

富士夫の携帯はやはり衝撃で故障してしまったらしく、二度と電源が入らなくなってしまった。

新しく買い換えた機種に、タイムマシン機能は付いていなかった。
 

<PART17>

10 年が過ぎた。

平成 27 年 6 月 21 日午後 2 時。

東京都武蔵野市。

矢的武司の葬儀が無事終わり、久しぶりに顔を合わせた家族は居間に集まってお茶を飲んでいた。

「大往生と言っていいだろうな。激しい沖縄戦を生き残ったくらいだし、元々身体は丈夫だったんだろ」

撫子と富士夫の父親が言った。

結婚して地方都市で暮らす撫子は、羊羹の載った皿を並べている。

急須にお湯を足しながら、母親が言った。

「戦争の話はほとんどしなかったわね」

父親が答える。

「いろいろと思うところがあったんだろう。息子のオレだって、投降して捕虜になっていたことすら、かなり後まで知らなかったんだ」

地方の大学で史学科の助手を務めている富士夫が尋ねた。

「でも、沖縄には何度か行ったんだよね」

「ああ、戦友の遺骨を探しにな。オレも一緒に行ったけど、仲間が戦死した辺りに近づいた時は号泣していたよ」

お茶を啜りながら父親が言う。

「自分だけ生き残ってしまってすまない、って気持ちがやっぱりあったみたいだな」

撫子は、いつもおじいちゃんが座っていた座イスを見つめていた。

命を捨てるための物語。

生き残るための物語。

東京に帰ってからも、おじいちゃんは二つの物語の間を揺れ動いていたのだろうか。

「オヤジが泣いているところを見たのは後にも先にもあの時だけ…いや、その後もあったな、二回ほど」

父親が言った。

「お前たち二人が生まれた時だ」
 

「おじいちゃんはね、あんた達が生まれる時、性別をピッタリ当てたのよ。一人目は女の子、次が男の子って」

撫子と富士夫は顔を見合わせた。

「あれ、何かちょっと不思議だったんだよなあ。『男か ? 女か ?』ってまず訊いてきたんだよ。で、性別を答えたところで泣き出したんだ。『良かった、良かった…』って」

「無事に産まれたことじゃなくて、性別が予想通りだったことに喜んでたのね」

撫子にとっても富士夫にとっても、初めて聞く話だった。

「いまだに分からない。あれは一体何だったんだろう」

命を捨てるための物語。

生き残るための物語。

おじいちゃんは、確かめたかったのだ。

戦場に現れた若い姉弟が、幻でなかったことを。

あの日、自分が選びなおした物語。

その選択の意味を、おじいちゃんは知りたかったのだ。

「そう言えば、この子たち二人が生まれてからだったわね。戦争の話を、ほんの少しだけどするようになったのは」

「その頃になって、ようやく話せる心境になったということなのかな」
 

「撫子が子どもの頃、夜中に高熱を出して病院にかつぎこまれたことがあっただろう」

「あの時も、『絶対にこの子を助けてやってくれ ! 死なせたら承知しないぞ !』って深夜の病院で大騒ぎして叱られてたわね」

「そうそう、オレもなだめるのが大変だったんだ」

両親の会話を聞きながら、撫子は考えていた。

命を繋ぐということ。

愛するものを守るということ。

今、ここに在るということ。

愛され、守られた命として、ここに在るということ。
 

富士夫が言った。

「おや、タケ坊は寝ちゃったんだ ?」

撫子は、にっこり微笑んでうなずいた。

その腕の中には、生まれて間もない撫子の長男・武継が、すやすやと眠っていた。
 

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