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杉澤抄 2006.5 「セパ交流戦」

「ミクシィ」というなんとかコミュニケーションなんとかネットワークなんとかサイト(よく分からない)があります。

このサイトに登録すると、誰でもブログ(日記風ウェブサイト)が作れます。そこでわたくしも、今年(2006 年)の 1 月から日記を書くことにしました。毎週月曜日を定休日にし、それ以外の日は(今のところ)毎日必ず何かしらの文章を書いています。

しかしこの日記は、ミクシィに登録している人しか読めません。せっかく書いたのにそれもあんまりなので、当「開明堂」に抄録を転載することにしました。

加筆訂正は面倒なのでほとんど行っていません。また、著しく出来の悪いものは載せていません。ミクシィでは、日記を読んでくれた人が自由にコメントを投稿できるのですが、そちらはわたくしの書いた文章ではないので割愛します。

<目次>

2006.5.2 西武球場へ行こう !

2006.5.3 改憲私案2

2006.5.5 昭和 20 年の今日、沖縄で。7・日本軍総攻撃

2006.5.6 西武球場へ行こう ! 2

2006.5.9 西武球場へ行こう ! 3

2006.5.10 西武球場へ行こう ! 4

2006.5.12 西武球場へ行こう ! 5

2006.5.16 マニュアル

2006.5.17 西武球場へ行こう ! 6

2006.5.18 西武球場へ行こう ! 7

2006.5.19 西武球場へ行こう ! 8

2006.5.20 セパ交流戦

2006.5.21 福岡 ソフト&バンク

2006.5.23 昭和 20 年の今日、沖縄で。8・首里攻防戦

2006.5.24 昭和 20 年の今日、沖縄で。9・義烈空挺隊

2006.5.25 西武球場へ行こう ! 9

2006.5.30 昭和 20 年の今日、沖縄で。10・南部撤退

2006 年 5 月分。

西武球場へ行った時の話と沖縄戦の話ばっかり。

<2006.5.2 西武球場へ行こう !>

先週の水曜日は、日曜出勤の振り替えでお休みを頂きました。平日に休めるのは久しぶりです。

貴重な休日をどう過ごそうかなと考えていたところ、ちょうどインボイス西武ドームという野球場で、西武ライオンズ対北海道日本ハムファイターズの試合があるというので、行くことにしました。そう決めました。決定。わー今日は西武球場だよ。西武せいぶ、西武球場に行こうー !

といっても、別に西武ライオンズのファンというわけではありません。パリーグでは日本ハムが好きなのです。

日本ハムファイターズは 2004 年、それまでの東京から札幌に本拠地を移しました。以来、北海道唯一のプロ野球チームとして地元では人気があるそうです。先ごろ、今シーズン限りでの引退を表明した人気者の新庄選手もいます。

けれどわたくしは、まだ東京をフランチャイズとしていた頃のファイターズが好きでした。すごく強いわけでもなく、めちゃくちゃ弱いということもなく、とにかくぜんぜん話題にならなくて人気もない地味な球団。それが東京時代末期のファイターズでした(だから移転しちゃったのね)。その目立たないところが好きだったのです。ちなみに、初めて見たプロ野球の試合も東京ドームの日ハム-ダイエー戦でした(負けた)。

そのファイターズが北海道から西武球場にやってきて、目下首位を走るライオンズに挑戦するのです。ちなみに前日も同じカードだったのですが、これは日ハムの勝ちでした。だから勢いに乗って今日も勝つかもしれないよ。

しかも先発投手は、イケメンの人気者・ダルビッシュ選手です(パリーグは先発投手を前日に予告するのです)。ナマ新庄も今年のうちに見たいし、これはぜひ行かなくっちゃ。

というわけで、この日の夕方 5 時前、わたくしは家を出て自宅の最寄り駅である西武池袋線江古田駅に向かったのでした。続きはまたこんど。

<2006.5.3 改憲私案 2>

今日は憲法記念日なので、また改憲私案を書きます。

今回は、日本国憲法の前文と、アニメ「機動戦士ガンダム」の中でも有名なシーン、ギレンザビの演説をリミックスします。

まずはそれぞれの原文を。
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「日本国憲法前文(原文)」
日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたつて自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本國民は、恒久の平和を念願し、人間相互の關係を支配する崇高な理想を深く自覺するのであつて、平和を愛する諸國民の公正と信義に信{ョして、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、專制と隷從、壓迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる國際社會において、名譽ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と缺乏から免かれ、平和のうちに生存する權利を有することを確認する。

われらは、いづれの國家も、自國のことのみに專念して他國を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に從ふことは、自國の主權を維持し、他國と對等關係に立たうとする各國の責務であると信ずる。

日本國民は、國家の名譽にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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「ギレンの演説(原文)」
われわれは一人の英雄を失った。しかしこれは敗北を意味するのか ? 否、始まりなのだ。

地球連邦に比べ我がジオンの国力は三十分の一であるにも関わらず、今日まで戦い抜いてこられたのは何故か、諸君。わがジオン公国の戦争目的が正義だからだ。これは諸君らが一番知っている。

われわれは地球を追われ宇宙移民者にさせられた。そして一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年、宇宙に住むわれわれが自由を要求して何度踏みにじられたか。

ジオン公国の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てる訳は無い。私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。何故だ ?
(坊やだからさ)
新しい時代の覇者を我ら選ばれた国民が得るは歴史の必然である。ならば、われらは襟を正しこの戦局を打開しなければならぬ。

われわれは過酷な宇宙空間を生活の場としながらも共に苦悩し、練磨して今日の文化を築き上げてきた。かつて、ジオン・ダイクンは人類の革新は宇宙の民たるわれわれから始まると言った。しかしながら地球連邦のモグラ共は自分達が人類の支配権を有すると増長しわれわれに抗戦をする。諸君らの父も、子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。この悲しみも、怒りも、忘れてはならない。それを、ガルマは死をもってわれわれに示してくれた。

われわれは今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。

国民よ ! 悲しみを怒りに変えて起てよ、国民よ ! われらジオン国国民こそ選ばれた民である事を忘れないで欲しいのだ。優良種たるわれらこそ人類を救い得るのである ! ジークジオン !

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「日本国憲法前文改定試案」
日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたつて自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。しかしこれは敗北を意味するのか ? 否、始まりなのだ。

われわれは過酷な宇宙空間を生活の場とし乍らも共に苦悩し、練磨して今日の文化を築き上げてきた。そして一握りのエリイトが宇宙にまで膨れ上がつた地球連邦を支配して五十余年、宇宙に住むわれわれが自由を要求して何度踏みにじられたか。これは諸君らが一番知つてゐる。

われわれは一人の英雄を失つた。私の弟、諸君らが愛して呉れたガルマ・ザビは死んだ。何故だ ? そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、われわれは今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。

地球連邦に比べ我が日本の國力は三十分の一であるにも關わらず、今日まで戦ひ抜いてこられたのは何故か、諸君。わが日本國の戦争目的が正義だからだ。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本國民は、恒久の平和を念願し、人間相互の關係を支配する崇高な理想を深く自覺するのであつて、平和を愛する諸國民の公正と信義に信{ョして、われらの安全と生存を保持しようと決意した。しかしながら地球連邦のモグラ共は自分達が人類の支配權を有すると増長しわれわれに抗戰をする。 諸君らの父も、子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に死んでゐつたのだ。この悲しみも、怒りも、忘れてはならない。それを、ガルマは死をもつてわれわれに示して呉れた。

われらは、平和を維持し、專制と隷從、壓迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる國際社會において、名譽ある地位を占めたいと思ふ。新しい時代の覇者を我ら選ばれた國民が得るは歴史の必然である。

われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と缺乏から免かれ、平和のうちに生存する權利を有することを確認する。ならば、われらは襟を正しこの戰局を打開しなければならぬ。

われらは、いづれの國家も、自國のことのみに專念して他國を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、日本國の掲げる人類一人一人の自由の爲の戦ひを神が見捨てる訳は無い。この法則に從ふことは、自國の主權を維持し、他國と對等關係に立たうとする各國の責務であると信ずる。われら日本國國民こそ選ばれた民である事を忘れないで欲しいのだ。

嘗て、ジオン・ダイクンは人類の革新は宇宙の民たるわれわれから始まると言つた。日本國民は、國家の名譽にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。國民よ ! 悲しみを怒りに変えて起てよ、國民よ ! 優良種たるわれらこそ人類を救い得るのである ! ジーク日本 ! 頑張れニツポン !
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ちなみにガンダムはよく知りません(坊やだから)。

<2006.5.5 昭和 20 年の今日、沖縄で。7・日本軍総攻撃>

昭和 20 年(1945 年) 5 月 3 日から 5 日。

この期間に、沖縄戦は一つの転機を迎えることになります。

沖縄本島中北部を占領した米軍は、日本側沖縄守備軍の司令部がある首里に向かって少しずつ南進していました。

沖縄守備軍は当初、米軍の本土上陸を少しでも遅らせるために、持久戦略をとっていました。この方針は、沖縄戦が本格化する三ヶ月も前に東京の大本営に報告しており、大本営も了承済みでした。沖縄で戦果をあげる必要はない、本土決戦の準備のためにとにかく時間を稼げばよい、ということです。

ところがいざ沖縄戦が始まってみると、大本営は、もっと積極的に反撃しろとか言ってきました。沖縄戦である程度の勝利をおさめさせ、それをいい材料にして和平工作を有利に進めたいと考えたようです。

当初の方針通り、ひたすら守りに徹していた現地の沖縄守備軍は混乱します。「現状を考えれば戦果をあげるのはムリ。戦略持久こそ最善の道」とするクールな現実派と、「いーや、ここで打って出れば敵に大打撃を与えることが出来るかも知れん。進め一億火の玉だ」という男のロマン派が対立します。

結局この時はロマン派が主導権を握り、5 月 4 日早朝を期して総攻撃を行うことになりました。作戦は次の通りです。

まず 3 日の晩、二つの別働隊が本島の東海上と西海上にそれぞれ出動します。そして主力部隊は 4 日の朝、米軍の最前線に陸上から総攻撃を加えます。同時に、海上にいた別働隊は、東海岸と西海岸からそれぞれ逆上陸して両サイドから敵を挟み撃ちします。正面と東西の三方から攻めるのですからさすがの米軍も尻尾をまいて逃げ出すだろう、との見通しです。

別働隊が東西の海上を目指して出発した 3 日の夜、司令部壕では幹部たちが戦勝前祝いの宴会を開いていました。しかしこの時、現実派の八原高級参謀は「将星の集うて飲めばなんとなく勝つような気のする今宵かな」と皮肉混じりに詠んでいます。

果たして、4 日の総攻撃は大失敗でした。海上から逆上陸を狙った別働隊が、両方ともこてんぱんにやられてしまったのです。東海岸の部隊なんか目的地に到達する前に海上で敵艦船にやられてしまいました。他にもいくつかの要因が重なり、日本軍は大敗北を喫してしまいます。

5 月 5 日の夕方、総攻撃は中止されました。

今回の作戦前までは、まだそれなりに戦力を保持していた(だから総攻撃をしようということになった)守備軍でしたが、気がつけばその兵力も沖縄戦開始時の四分の一となっていました。これまで積極的攻勢を唱えていたロマン派も意気消沈、以後はあまり威勢のいいことは言わなくなります。

首里陥落も間近、守備軍の敗北は時間の問題、という現実が目に見えて明らかになってきました。この情況は最後の最後まで変わらないのですが、それでも沖縄戦はあと二ヶ月くらいは余裕で続くのです。

<2006.5.6 西武球場へ行こう ! 2>

(前回までのあらすじ)

珍しく平日に休暇をとったわたくしは、日ハム対西武の試合を見に西武球場へ行こうと、自宅からほど近い西武池袋線江古田駅に向かったのでした。

ちなみにわたくしは、西武線の沿線に 5 年も住んでいながら、これまで西武球場に行ったことがありませんでした。

西武線の駅にある自動券売機には、料金別にズラリと並ぶきっぷ購入ボタンの列から独立して、「西武球場行き(往復)」というボタンがついています。前々から、いつかこのボタンを押して西武球場に行きたいものだと思っていました。

ついにやってきた今日がその日です。わたくしはゆっくりとお金を入れました。軽い高揚感と共に「西武球場行き」ボタンを押すと、きっぷが二枚出てきました。一枚には「いき」、もう一枚には「かえり」と書いてあります。なるほど、「往復」というのは、一枚の「往復きっぷ」ではなくて、行き用と帰り用の二枚をいっぺんに買うことだったのね。

「いき」と「かえり」を間違えないように気をつけ、きっぷを自動改札機に入れます。いきなのにかえりのきっぷをキカイに入れたらどうなるかな、あと、帰りのデンシャに乗るまでかえりきっぷを失くさないようにしないといけないな、などといったことを考えながら、「所沢方面」のホームに向かいます。

西武球場へはまず、西武「池袋線」に乗って「西所沢」という駅まで行きます。その後、そこから西武「狭山線」に乗り換え、「西武球場前」で降りるのです。でも試合のある日は、乗り換えなしで直接西武球場に行ける「西武球場前行き」(池袋線から狭山線に乗り入れ)というデンシャも走っています。

けれど、「西武球場前行き」に乗ったからといって、球場に早く到着するとは限りません。このデンシャは割とちんたら幾つもの駅に停車するので、ヘタすると後から来た「急行飯能行き」とかに、途中で追い抜かされたりするかも知れないのです。

分かりません。

要するに何時のどこ行きのなに列車に乗ればいいのでしょう。日ごろ鉄道に乗らないわたくしにはさっぱりです。しかも、西武線には「普通」「快速」「通勤快速」「急行」などいろんな種類のデンシャが走っていて、それぞれ停まる駅が微妙に違うのです。この列車はどことどこに停まりますよ、と言われてもその駅が西所沢より手前なのか向こうなのかも分からん。その上、今いる江古田駅にはそもそも普通列車しか停まらないので、西武球場に早く着くには、最低一度はどっかの駅で乗り換えないといけないらしい。

困ったな、と思っていたところ、ホームに掲示してある大きな時刻表の隅に、小さな「西武球場のナイターを見に行く人用分かりやすい時刻表」が貼られているのを見つけました。

何時何分発のデンシャに乗った人はまずなに駅でどこそこ行きに乗り換えなさい、そして次になに駅でどこどこ行きに乗り換えろ、そうすると球場前には何時何分に着きます速いだろ、という説明が、この時間帯に発着する全ての列車についてそれぞれ書いてあります。

これはベンリだよ。何しろ自分とこの球団の試合に足を運んでくれるお客さんのためですから、西武鉄道としてもこのようなきめ細やかなサービスを提供しないわけにはいかないのでしょう。

説明を読んでようやく安心したわたくしは、入線してきた列車に乗り込み、ようやく江古田駅を離れました。でもどこで乗り換えればいいのかもう忘れた。ていうか、説明読んでも何か理解しきれなかったのです。大丈夫かな ? 続きはまたこんど。

<2006.5.9 西武球場へ行こう ! 3>

(前回までのあらすじ)

やっとデンシャに乗りました。

西武線の駅構内には、西武ライオンズのポスターがたくさん貼ってあります。もちろん車内の中吊り広告も、ライオンズのものがいっぱい。

例えば「ライオンズニュース」なんて中吊りがあるよ。ライオンズ選手の大きな写真の横に、短い記事が書いてあります。

この日のライオンズニュースは、前日の試合でホームランを打った江藤選手の写真。江藤選手は今年巨人から西武に移籍したばかりの人で、このホームランが移籍第一号だったのです。しかも、江藤選手としても第何号だかの記念すべきホームランなんだって。そうですか。別に西武ファンではないわたくしはそんなこと知りませんでした。

他には、ライオンズファンクラブに入ろう ! という広告。ファンクラブに入るといろいろ特典がついてくるとかそういうことが書いてあります。

その広告には、インタビューを受けたりファンと握手しているライオンズ選手の写真が載っていて、頑張って営業しているんだなあと嬉しくなりました。

中でも、ライオンズのマスコット・レオくんと遊んでいる子どもの写真が良かったです。ライオンズ帽をかぶってレオくんと一緒にグランドでぴょこぴょこ飛び跳ねているその子はとっても楽しそうで、たいへんかわいらしかったのです。本当にいい写真だなあと思いました。

ところで、わたくしは西武ファンではなく、この日も日ハムの応援をするつもりでこの西武線に乗っているわけです。しかし日ハムファンだからといって、こうした車内のライオンズ広告をひっちゃぶくわけでもなく、むしろ興味深く隅々まで読み、あまつさえレオ帽子の男の子の姿を微笑ましく思い、もちろん無賃乗車もしません。そして西武線の方も、そんなわたくしを差別することなく、ちゃんと西武球場まで運んでくれます。

当たり前のことなのですが、何だか少し不思議な気もします。プロ野球ファンというと、選手と同じユニフォームを着てでっかい旗を振り回し、球場へ向かう列車の中でも大騒ぎをして他の乗客に迷惑をかけ、優勝すると警官の制止を振りきって道頓堀に飛び込むような人たちをつい想像してしまいますが、それは一部の熱狂的なファンだけで、やっぱり普通のファンは普通に球場に向かい、普通に試合を見て、普通に家に帰るのです。

「西武」線に乗って「日ハム」を見に行くわたくし。この時、西武鉄道・西武ライオンズとわたくしの間に「大人の関係」が成立しているのですね。互いが「普通」の「大人」であるという美学。

わたくしは、自分がこの美しい関係性の一角を占めていることの快楽を感じながら、でこでことデンシャに揺られていたのでした。

<2006.5.10 西武球場へ行こう ! 4>

(前回までのあらすじ)

実際に西武球場に行ってから実はもう二週間も過ぎているので早く書かないと忘れちゃうぞと焦りながらも、まだ球場に到着すらしていないのでした。

今わたくしが乗っているのは西武球場方面へ向かう列車なのですが、だからといって乗客みんなが野球を見に行くわけではありません。単に所沢の街に用事があって乗っている人もいれば、その先の飯能とか秩父とかに行くつもりの人もいるでしょう。

実際、一目であ、この人野球に行くんだ、と分かるようないでたち(ライオンズの帽子をかぶっているとか日本ハムのモーニングサーブをバクバク食べているとか)の人はあまりいません。

わたくしの隣りの席に座った人も、野球に行くようには見えませんでした。その人は、だいたい 50 代くらいで、タテヨコ両方大きめな身体にグレーの背広を着ています。膝の上に乗せた大きなカバンや白髪混じりの頭が、大手企業の部長クラスといった貫禄を醸し出していました。

この人はなぜ、平日の夕方 5 時、郊外へ向かう西武線に乗っているのでしょう。出先で仕事を終えて直帰(直接家に帰ることだそうです)するところかな。それとも郊外の工場でトラブルが発生して本社の責任者として処理のために急行しているのかもしれないね。

いずれにしても、この人は仕事の日、わたくしは遊びに行く日。平日休みってすばらしい、と優越感に浸っていたその時です。

部長は膝の上の黒いカバンから、小さなパンフレットのようなものを取り出しました。そしてあるページを開いて丹念に読み始めました。なんだろう、と思ったわたくしは思わず横目で覗きこんでしまいました。すると、部長の開いたそのページには「インボイス西武ドームへの西武鉄道時刻表(平日・ナイター)」が掲載されていたのです。

あれあれ、この人も野球の人だったのか。わたくしの目にはそうは見えなかったので少しびっくりしました。部長がカバンから取り出したパンフのようなものは「西武ライオンズ観戦ガイド 2006」みたいな小冊子だったのです。

自分が何時ころ球場に着くのかをチェックした部長は、携帯電話を取り出してメールを送り始めました。現地で待ち合わせている仲間に連絡をとっているようです。どんな仲間だろうね。会社の部下かな。接待で招待した得意先の人かもよ。あるいは西武ライオンズ私設応援団清瀬支部 OB 会。

列車はひばりが丘という駅に停車しました。アナウンスでは、急行飯能行きに乗りたい人はここで乗り換えろとか言ってます。わたくしは自分がその飯能行きに乗りたい人なのか乗りたくない人なのか分かっていません。どの列車に乗れば球場に早く到着するか理解してないからです。

でも大丈夫、部長が降りたよ。何しろぼくらの部長は観戦ガイド持参なのだから間違えるはずありません。わたくしは部長の後に続いて列車を降り、ホームの反対側に停まっている急行飯能行きに乗り込みました。これで安心。デキる上司を持って幸せだなあ。

窓外に目をやります。住宅に混じってそろそろ畑や空き地もちらほら見え出しました。武蔵野を西へ西へ西へ。飯能行き急行列車は、ゆっくりと走ってゆきます。この日記いつまでたっても西武球場に着かないよ。困ったね。

<2006.5.12 西武球場へ行こう ! 5>

(前回までのあらすじ)

急いでいるので略。

このペースでやってるといつまでたっても球場に着かないので、今日はちょっと急ぎますね。なるべく高速で読んで下さい。

西武線乗り換える。がたごと。西所沢駅着いた。もっかい乗り換える。西武狭山線。西武球場行きというのに乗る。

ここまで来ると、さすがに車内は野球を見に来たよ、という人が多いです。先頭車両に乗りました。小さな子どもがおばあちゃんと一緒に運転席を後ろから覗いていました。運転席からは狭山線の線路が見えます。子どもってこういうの見るの好きなんですよね。かわいいな。

やがてその子も飽きたのか、別の場所に移動したので、今度はわたくしが運転席を覗きました。盛り土で作られた狭い狭いスペースに単線の線路が敷かれています。こんな狭い場所を、わたくしたちの乗るでっかい車両がそれなりのスピードで走っているのだなと思うと、少し怖かったです。怖いんだけど急がなくちゃ。

西所沢と西武球場前を結ぶ狭山線。二つしか駅ない。だからきっとすぐに終点の球場前に着くよ。ハイすぐ。すぐ着く。よかった良かった。

途中いっこだけ、下山口という駅、停まる。いいよ停まんなくて。試合始まっちゃうよ。でもこの駅で降りる人もいるからいちお停まる。えーここまで来て球場行かずに降りちゃうのああ家に帰るのね。ここに住んでんだ。まあそんなのん気な人も世の中にはいていいと思うけど。でもわたくしは急いでいるから、以後句点も省略、

下山口を出発、次は終点西武球場前、もうすぐだよ、でこでこ、でこでこ、ぴー、はい着きました、西武球場前です、ホームに下りると改札までライオンズの広告でいっぱいで、ホームを走らないで下さいと駅員さんがアナウンスしてるのにみんな走ってて、わたくしも思わず早足になって、急げいそげでもやっとここまで書いたからとりあえずホッとして、次回はもう少し落ち着いて書きたいなと思っていうか今日はもう寝なくっちゃいけなくて早く早く早く寝ないと明日がタイヘンですから早くはやお休みなさ

<2006.5.16 マニュアル>

小説とかコントとか書いたりしてまるで作家きどりのわたくしなのですが。

ロープー(プロ)の作家の人々が、「小説の書き方」とか「文章作法」みたいな本をいっぱい出していますよね。でもその手の本は全くといっていいほど読んでません。

唯一持っているのは本多勝一の「日本語の作文技術」(朝日文庫)という本です。

本多勝一という人は元新聞記者で、左寄りのジャーナリストとして知られていますが、この本だけは保守系の人からも高く評価されているそうです。

文学的な文章とか美しい文章とかではなく、とにかく分かりやすい実用的な文章の書き方について深く研究・分析しています。「フツーの文章」を書くためのマニュアルとしては実に優れた本だと思います。

わたくしはこの本を高校生の時に読んでとても影響を受けました。今でも文章を書くときはここに書かれていることをベースにしています。

最近、久々に再読しています。自分の文章に片っ端からダメ出しをされているようでちょっと気分が落ち込んでしまいますね。

何をするにしても、マニュアルどおりにしか出来ないようではダメです。しかし、上手くマニュアルを崩すことが出来るのは、マニュアルをキチンと身につけた人だけであるとも思います。これ、シゴトの時なんかによく思うことなんですけど。

というわけで、何事も基本が大切ですね、と今日はそういう話でした。

<2006.5.17 西武球場へ行こう ! 6>

(前回までのあらすじ)

ようやく西武球場前駅に着きました。

改札を抜けると、ちょっとした広場のようになっていて、遊園地の入り口みたいな光景です(実際球場の隣りには西武園遊園地というのがある)。屋台みたいな応援グッズ売り場が並んでいます。

球団グッズを見るのは大好きです。家でも、各チームのホームページに行って、買いもしないのにグッズ通販コーナーを覗いたりしています。

ここは西武の本拠地なので、当然ライオンズグッズばっかり売っています。レプリカユニフォームやマスコットのレオくんぬいぐるみなどが(大きいので)目立ちます。

もうすぐ試合が始まるという時間帯だからなのか、あまりお客さんはいません(試合終了後はとても混雑していました)。

わたくしは西武ファンではないのでライオンズグッズを買ってもしかたありません。よく見るとはじっこの方に「ビジターショップ」というのがありました。

そこでは西武以外の球団グッズを売っています。やはり今日の対戦相手である日ハムグッズが多かったのですが、ソフトバンクやロッテ、楽天など他の球団のものも置いてあります。巨人や阪神などセリーグのものまであります。でも、西武対日ハムの試合を見に来てロッテのグッズを買う人とかいるのかな ?

今日のわたくしは応援グッズを何も持っていません。本当は、数年前に東京ドームで買った日ハムのメガホンを持っているはずなのですが、家のどこにしまったか忘れてしまいました。北海道に移転する前のもので、タテジマの模様に当時のマスコット・ファイティーくんの絵が描いてあります。現在はもう売っていないので、これを持っていれば「オレは新庄目当てでやってきたミーハーファンじゃねーぞ」ということになり、「昔のファイターズは良かったね。最近の選手は軟弱でイカン」とか言いそうな筋金入りの古参ファンに見えると思います。球場の女性ファンや子どもたちを見て「女、子どもにファイターズの渋さが分かってたまるか」「ファイターズが東映フライヤーズだった時代を知らんだろお前ら、にわかファンめ」という顔をすることだってできます。でも押入れの中を探すのもめんどくさいので、今日は手ぶらで来たのです。だいたい東映時代なんてわたくしも知りません。

せっかくなので何か買いましょう。わたくしはファイターズの帽子とメガホンを下さい、と言いました。お金を払うと、店員さんが「今日は全部の商品にこれが付くことになっているので…」と、ちょっといい訳っぽく言いながら一枚のカードをくれました。そのカードには西武の江藤選手のサインが印刷されており「今年からライオンズの一員になりました。よろしくお願いします !」と書いてあります。ひっくり返して裏を見ると、「ライオンズニュース・江藤、移籍第一号ホームラン !」という記事と写真が載っています。西武線の中吊りにあったライオンズニュースと同じです。わたくしが日ハムファンだったから店員さんは言い訳っぽいことを言ったのですね。もちろんわたくしはオトナなので「いらねーよこんなカード」とは言わず、ちゃんと頂いて大事にしまいました。

帽子には、「F」という文字と白いボールが描かれています。選手がかぶっているのと同じデザインですが、わたくしはあんまり好きじゃないです。東京にいた頃の「F's」と書かれた帽子の方がカッコよかったなあ。更にその前の時代は「Fighters」のロゴの下に遠慮がちに小さく「Tokyo」と書いてあるオレンジ色の帽子でした。これも好きなのですが今ではどちらも売ってません。阪神みたいに昔の帽子を復刻版として売ればいいのに。今のうちなら東京のファンも買うと思います。

F 帽子はカッコよくないけど、青と白のメガホンはけっこうカッコいいよ。メガホンには大きいのと小さいのと二種類ありますが、今日買ったのは小さい方。わたくしは F 帽子をかぶり、メガホンを首からぶらさげてグッズ販売エリアを後にしました。

さあ、これでいよいよ球場内に乗り込むぞ、と思うでしょう。でもまだその前に書くことがいっぱいあるのです。

<2006.5.18 西武球場へ行こう ! 7>

(前回までのあらすじ)

球場に入る前に、売店で日ハム応援グッズを買ったよ。

まだ球場の中には入りません。入り口ゲート前を素通りして、隣りにある建物へ向かいます。

入り口には「西武ライオンズ」と書いてあるので、これが球団事務所なのでしょう。でも別に事務所に用事があるわけではないよ。一階にある「西武ライオンズのあゆみ」という展示コーナーを見に来たのです。

前日に西武球場のサイトを見て、こんなコーナーもあるんだ、と楽しみにしてきました。ここにはまず、「所沢球場」の建設計画を発表する堤オーナーの写真があります(西武グループがライオンズを買収するより球場建設の方が先でした。球場を造ったのにどこのチームも使ってくれなさそうだったから慌ててライオンズを買収したのです)。それから過去にライオンズが獲得した優勝旗がたくさん。実物はけっこう大きいんだね。

昔の選手のユニフォームも飾ってありました。野村(現楽天のカントク)・江夏(薬物所持でタイホされた人)・田淵(マンガの主人公)などなど。これもすごく大きいよ。やっぱり野球の選手ってでかいんだ。

でも、このコーナーはモノが飾ってあるだけで、球団の歴史について詳しい説明とかがあるわけではありません。スペースの都合もあるんだろうけど、ちょっと残念でした。

その奥にはライオンズグッズを売っている売店コーナーがあります。スペース全体が白と青で染まっていました。ライオンズカステラやライオンズどら焼きもあるよ。隣りにはカレー屋さんがありましたが、6 時になったので店を閉めるところでした。

えーっ 6 時。6 時といえば試合が始まる時間だよ。早く球場に入らなきゃ。事務所を出ると、西武球場の白いドーム屋根が見えます。

慌ててチケット売り場に向かう途中、ファイターズのマークが描かれた大きなトラックが停まっているのを見つけました。きっとこのトラックに選手のグラブやバットを乗っけてきたんだよ。ファイターズは北海道のチームだから札幌ナンバーなのかなと思って確認したら、川崎ナンバーでした。

写真を撮ろうとケータイ電話を探していると、ふいに球場の中からわーっという歓声が聞こえてきました。そうでした、試合はもう始まっているのです。急げいそげ。

<2006.5.19 西武球場へ行こう ! 8>

(前回までのあらすじ)

のんびりダラダラ書いていたら試合が始まってしまいました。

チケット売り場に来ました。売り場は、外野席・内野指定席・内野自由席など座席の種類によっていくつもの窓口に分かれています。外野席や内野自由席などの窓口には行列が出来ています。

バッターボックスの近くで見たいわたくしは、内野指定席の窓口にやってきました。一枚下さい、と言うと窓口のおばちゃんが「一塁側 ? 三塁側 ?」と聞いてきました。

ここは西武の本拠地ですから、今日の試合は西武の主催ゲームです。西武ライオンズが試合相手として日本ハムファイターズを北海道から呼んできて、ライオンズが勝つところを西武ファンのお客さんに見せて喜んでもらおうという企画なのです。もちろん、ファイターズが勝つかもしれませんから日ハムファンも見にきます。そういう人からもちゃんとお金は取ります。今日はつまり、そういう興行なのです。

日本のプロ野球ではたいてい、主催者側(ホーム)チームが一塁側ベンチを、呼ばれたビジターチームが三塁側ベンチを使います。そして、観客もそれぞれ好きなチームと同じ側の客席に座ります。

わたくしは日ハムを応援しに来たのですから、日ハムファンが多い三塁側のチケットを買えばよいのです。三塁側が日ハムですよね ? と一応おばちゃんに聞きました。野球を見に来たのは久しぶりなので、「ビジターが三塁側」というのにちょっと自信がなかったのです(ちなみにファイターズの本拠地・札幌ドームは三塁側にホームチームが陣取る)。

次におばちゃんは、何列目がいいか、ということを聞いてきました。通路に面した(移動がラク)席なら何列目が空いていてそうでない席なら何列目が空いているよ、ということを説明してくれます。なるべく前の方がいいです、と言ってそういう席のチケットを買いました(三千円くらいだったと思います)。

もっとも、これは後から分かるのですが指定席といっても実はこのエリア、空席ばっかりなのです。従って勝手に好きな席に座れるので何列目のチケットを持っていようとあんまり関係ありません。だから結果的にこのチケットは「指定席エリアに足を踏み入れることが出来るチケット」という意味になるのです。

で、まあそういう意味のチケットを購入したわたくしは、球場入り口ゲートに向かいます。途中、お弁当の売店があり、たくさんの人が群がっています。ちょうど夕飯時ですから、このお弁当を食べながら観戦するのでしょう。でも、球場の中にもゴハンの売店はたくさんあります。わたくしはそういう売店を見て回るのが好きで、今日もいろんなものを食べようと思っています。多くの種類のゴハンを食べるためには、お弁当なんか食べてしまってはいけません。いっこでお腹いっぱいになってしまいますからね。

F 帽子をかぶり、ファイターズメガホンをぶらさげ、お弁当は買わずに、わたくしはようやく三塁側入り口ゲートまでやってきました。試合はすでに始まっています。

<2006.5.20 セパ交流戦>

プロ野球の話。セリーグのチームとパリーグのチームは、違うリーグなので普段は試合で当たることはありません。けど、いま行われているセパ交流戦というシリーズでは、両リーグのチームが対戦します。日本シリーズに出ない限り見れなかったカードが見られるというので人気があるそうです。

セパ交流戦。

声に出して読んでみよう。セパ交流戦、セパ交流戦。

もっと早いテンポで。セパ交流戦セパ交流戦。

続けて読んでみよう。セパ交流戦セパ交流戦、セパ踏んじゃ、踏んじゃ、踏んじゃった。セパ踏んじゃったセパ踏んじゃった、セパ交流、交流、交流戦。

セパ交流戦とネコ踏んじゃったはアクセントの位置が一緒、というか楽譜にすれば音もおんなじなんだなあと、ようするに今日はそういうお話でした。

<2006.5.21 福岡 ソフト&バンク>

福岡ソフトバンクホークスというプロ野球チームがあります。

福岡ソフトバンクじゃなくて、福岡ソフト&バンクにすると、漫才コンビみたいだね。

「福岡ソフトでーす」「バンクでーす」「二人合わせてホークスでーす」「どんな合わせ方したらそうなんねん !」

それから、千葉県東金市出身の千葉ロッテさん(72)は、昭和四十年代に人気を博したピン芸人。後に本名の千葉正幸名義で映画監督としても活躍しました。弟子には厳しいことで知られるロッテ師匠も最近はお孫さんができてすっかり丸くなったみたい。

ところで、「東北楽天」という字面を初めて見た時も人の名前に見えました。これは、昔「北沢楽天」という人がいたからですね(四文字中三文字もかぶっています)。北沢楽天は明治大正期の風刺漫画家で、日本初の風刺漫画雑誌「東京パック」(日本史の資料集などによく出てくる)を創刊した人です。

今日は疲れているのでこんなところで。

<2006.5.23 昭和20年の今日、沖縄で。8・首里攻防戦>

1945 年(昭和 20 年) 5 月 23 日。

この日の早朝、米軍は沖縄県の県庁所在地である那覇市に侵入します。那覇市の東方には高台が広がっており、その上に首里城があります。ここの地下壕が、日本側沖縄守備軍の司令部です。

5 月中旬は、首里を陥れようと進撃する米軍と必死で防衛する守備軍との間で、一進一退の激戦が行われていた時期です。中でも特筆すべきは、シュガーローフという高地や石嶺丘陵地帯での戦いで、物量において圧倒的に優る米軍相手に守備軍が善戦し、米側に甚大な損害を与えました。

しかし、やっぱり米軍は強大でした。首里に隣接する守備軍の防衛拠点も、20 日過ぎにはその多くが占拠され、首里の司令部は、昼となく夜となく敵の直撃弾に脅かされるようになりました。

過去の日記で述べたように、守備軍首脳部の中は攻勢派と持久派に分かれていました。ロマンチックな攻勢派は「首里でみんな一緒に死のう。これぞ男子の本懐」と言うのですが、持久派は「いや、南部に撤退してもう少し粘ろう。元々本土決戦のために時間を稼ぐのが我々の任務だろ」と主張します。

結局は持久派の意見が容れられ、本島南部の喜屋武(きゃん)半島への撤退が決まりました。牛島司令官はこんな訓示をしています。「軍の主戦力は消耗してしまったが、なお残存する兵力と足腰の立つ島民とをもって、最後の一人まで、そして沖縄島の南の涯、尺寸の土地の存する限り戦い続ける覚悟である」。おかげで沖縄戦はまだまだ続くことになります。この決定がなされたのが、今日 5 月 23 日なのです。

それにしても「足腰の立つ島民とをもって」って、兵士でない島民は、あなたの部下ではないよ。勝手に決めんなという感じですが、沖縄守備軍は基本的に何でも勝手に決めています。一般市民の安全に配慮するような余裕は最初っからありません。ていうかそもそも一般市民を戦力として考えています。沖縄「守備」軍は果たして何を守ろうとしていたのでしょう ? そして大本営は ?

<2006.5.24 昭和20年の今日、沖縄で。9・義烈空挺隊>

1945 年(昭和 20 年) 5 月 24 日。

この日、熊本県から義烈空挺隊という飛行部隊が沖縄へ向けて出動しました。

沖縄本島中部には元々日本軍の空港が二つありました。北飛行場と中飛行場です。どちらも米軍が本島上陸とほぼ同時に占拠してしまいました。

義烈空挺隊は、この両飛行場に強行着陸を敢行して奇襲攻撃をかけたのですが、あえなく全員玉砕してしまいます。

沖縄守備軍の八原高級参謀は義烈空挺隊について、彼らが守備軍の防衛戦闘に大きな貢献をしたわけではない、という意味のことを言っています。そんなことをするくらいなら、むしろ小禄飛行場(那覇市南方にあった日本軍の飛行場)に着陸し、直接守備軍の戦闘に参加してほしかった、というのです。

これでは死んでいった空挺隊の兵士も浮かばれませんが、しかし実際には八原の言う通りだったのでしょう。守備軍は首里攻防戦で主力を失い、兵力不足に悩んでいたわけですから。

海上では神風特攻隊が身を挺して敵艦船への体当たり攻撃を繰り返していました。大本営・海軍のこの特攻作戦についても、冷静な目で見ればぜんぜん意味ない、と八原は言っています。

沖縄戦では、大本営と現地軍、また陸軍と海軍との間で、戦術・戦略に関する意思疎通がうまくいっていなかったという印象を受けます。意見が対立したまま、それぞれの方針で事が動いてしまったというケースが多かったのではないでしょうか。そのため、全体として大きな戦果を挙げることが出来ず、いたずらに犠牲者ばかりが増えていったように思えます。

現代の企業なんかでも、各部署がそれぞれ違った戦略を立てて勝手に動いてしまったために会社全体として不利益を被るといったことはよくありそうですよね。沖縄戦ではそれを国家レベルでやってしまった、と言えるのでは。

いずれにしても、それで犠牲になるのは下っ端の兵士です。彼らは果たしてなんのために死んでいったのでしょう。

<2006.5.25 西武球場へ行こう ! 9>

(前回までのあらすじ)

ようやく入り口ゲート前まで来たよ。

ホットドッグを片手に、紙コップの生ビールを飲みながら観戦しています。内野のわりかし前の方の席です。2 回のウラ、西武の攻撃が終わりました。

日ハムは 1 回の表に誰かが 1 点入れていました(その時はまだ入場していなかったので見てない)。2 回のオモテにもう 1 点追加。犠牲フライかなんかでした(この時は球場内で見ていたはずですがよく覚えてない)。日ハム先発のダルビッシュ投手が西武打線を抑えています。2 回を終わって 2 対 0 と日ハムがリード。

それにしても、入り口から内野席までは、けっこう遠かったよ。東京ドームは確か入り口がいくつもあったと思うけど、西武球場は外野の後ろ、バックスクリーンの真裏の位置にいっこあるだけなのです(正確には一塁側と三塁側で別々にゲートが設けられているから二箇所かな)。

バックスクリーン(の裏)ということは、ホームベースのちょうど対角線上です。そこからバッターボックス近くの内野席まで、スタンドの外周を延々歩いていくのですね。

しかもその外周は、入り口から内野方面に向けてずうっと上り坂になっています。西武球場は山の斜面をくりぬくようにして造られているからです。

直角三角形の三角定規を思い浮かべてみましょう。最も短い辺が地面に対して垂直になるように置いてください。平らな底辺の部分がグラウンドです。一番狭い鋭角 30 度の部分が入り口ゲート。そして一番長い辺の部分が外周通路です(元々の山の斜面にあたる)。わたくしはゲートをくぐった後、まず直角三角形のテッペン近くまで登っていき、それからグラウンド近くの内野席まで降りてきたのです。

売店やトイレは外周部分にしかないので、もう一度テッペン近くまでスタンドを登っていかなくてはいけません。それがちょっと面倒くさいけれど、でもおもしろいつくりの球場だなあとわたくしはすっかり気に入ってしまいました。それに、あっちこっちに幾つもの通路やゲートがあってまるで迷路みたいな東京ドームよりも、構造がずっとシンプルで分かりやすいしね。東京ドームって、自分がどこから入ってどこから出たのか、何回行っても分かんないんです。

3 回オモテ、日ハムの攻撃です。西武の先発投手は帆足、という人。ほあし。知りません。野球の歴史とかについてはよく知っているけれど、野球というスポーツそのものやルール、現役の選手には詳しくないのです。でもここは「ほほうほあしクンもなかなかいいタマ放るようになってきたじゃないか」というような顔をして見ています。

<2006.5.30 昭和20年の今日、沖縄で。10・南部撤退>

昭和 20 年(1945 年) 5 月 30 日。

前日の 29 日、沖縄守備軍の牛島司令官が、本島南部の摩文仁(まぶに)に到着しました。

それまで首里に陣取っていた守備軍は司令部を本島南部の喜屋武(きゃん)半島に移すことを決めました。それが先週の 23 日のことでしたよね。あのあと守備軍は、少しずつ全軍の移動を進めてきたのです。

摩文仁は現在の糸満市南部で、当時は島尻郡摩文仁村と呼ばれていました。摩文仁岳という山があり、守備軍は、この中腹にあった自然洞窟を新司令部としました。

首里撤退にあたり、島田沖縄県知事は、周辺の一般市民に対し南部へ移動するよう指示を出しました。他の地域はもう全部米軍に占領されていたからそう言うしかなかったのですね。軍と一緒に南部へ逃げた首里周辺の住民は、南部の住民と共に、沖縄戦で最も悲惨な島尻洞窟戦に巻き込まれることになるのです。

「島尻」というのは本島南部一帯を指す呼び名ですが、摩文仁はホントに島のお尻の方、つまり本島で最も南のエリアにあたります。この先にはもう海しかありません。

わたくしはこの辺にも何度か行ったことがあります。岬から南を臨めば、そこには美しく澄んだ青いあおい海が広がっています。空はよく晴れていて、強いけれどとても気持ちの良い風が吹いていました。キレイでいいところだなあと思いましたが、それは帰るところがあるからです。昭和 20 年の摩文仁も、今と変わらぬ美しい自然に囲まれていたはずですが、逃げ場を失ってここに追い込まれた兵士や住民の皆さんにとっては、海と風に閉ざされた狭くて怖ろしい場所でしかなかったのかもしれません。

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